中野 俊雄氏記『幕末川口の鋳物師と大砲』

「鋳造工学」2011・3月号

 

中野氏は川口の鋳物産業に従事していた。勝海舟の「川口の大砲なんぞ何の役にもたたねえ」と言う発言に刺激され、川口の鋳物師作業、その偉業、日本の大砲についての研究を行ったとまず書いていた。

興味深いことに川口の鋳物師の天水鉢、増田家、永瀬家、茂原の大砲、などは銃砲史学会峯田事務局長の今までの発表があったもので、結局、関東で行われた大砲鋳造はこのような規模だったのだろう。西南雄藩の研究や製造が進んでいた。増田家は214門の砲を主に東北諸藩に製造した。その材質の科学分析も行っている。製造方法は腔内の造り方が西欧と異なり、日本では引き中子(鋳造するとき棒を入れる)で造り内面をさらって平滑にした、西欧ではむく(ソリッド)で砲身を作り腔内を機械加工で開けたそうである。日本のライフル砲はどう作ったのだろう。

フランスから広まり世界各地で使われた4斤野砲、4斤とは4kgと理解していたが4ポンドと、してある。ポンドだと半分の大きさになってしまうが。

こういう野山砲は欧州やアメリカのデモでは発射されることが多く、効率的小型砲である。

右下の架台に乗った要塞砲(カノン砲)だけは青銅で洋式である。

 

日本の幕末大砲騒動は火薬も含め、さまざまな学会で多くの発表がなされており、大きなかつ重要なテーマであることは間違いない。以上