究極の戦争ドキュメンタリー山本 七平著「私の中の日本軍」上・下

とっくに絶版になっているはず、昭和50年文芸春秋社刊 戦争文化論、哲学としても分類される。
山本 七平氏は昭和17年、青山学院大学を卒業し即日、入営、砲兵としての練を受け、昭和19年にルソン島の第一○三砲兵師団で、まずアメリカ製の鹵獲自走砲分隊の指揮を取る。ヤード照尺をメーターに換算して砲撃した。その頃でも八九式戦車を使用していたそうだ。アメリカ軍上陸を控え、重砲陣地構築と、飛行場への照準を担当した。この著作はしかしながら、実際の戦闘もさることだが、帝国陸軍の論理にならない論理、それらを理解しない民間。
その観点を評論家として貫いていた。論理から言えば、南京100人切りなどはメディアの創作であり、それを裁判で創作と言わなかったことにより2名の将校が中華民国により死刑になったことを厳しく指摘していた。
なお、彼のサイドアームも鹵獲品のSW拳銃。