古銃研究の巨人1: 所 荘吉氏
中央が板橋の図録
ウィキを調べても所さんの略歴は出てない。私が彼と知り合ったのは、日本前装銃射撃連盟、日本銃砲史学会が創立された1970年代後半だった。氏は事業を営むビジネスマンであり専門の学者ではなかった。1939年生まれで、インテリア関係の会社を経営していた。従って比較的早く亡くなった。
平成20年に板橋資料館で「特別展所 荘吉」が企画され、私も一日を過ごした。膨大な文書類に感銘を受けた。彼の収集物の基礎は有馬 成甫博士であって、同博士に師事したと聴いた。1980年代全般、いろいろな会合でお話をする機会を得た。本にも署名をいただいた。「図解古銃事典」雄山閣は昭和49年に発刊された。その前に昭和39年に「火縄銃」を著作しているから、この手の研究と発表では先駆者であっただろう。平成元年に「火縄銃」雄山閣刊を発刊した。従って、半世紀以上にわたり火縄銃一筋にきた研究者であった。この本の前書きに有馬先生の「伝統的科学精神の解明」との文がある。
日本の火縄銃を日本の科学精神の代表としていたのだ。まことに一貫した優れた論理であろう。所さんのお話はいつもいろんな珍しい品を持参され、興味深いものがあった。ただ、所さんが実際に火縄銃を射撃したのは見たことがなかった。あったかもしれない。写真では装填は自分でそのプロセスを示していたが、射撃は小橋さんであった。また日本の火縄銃だけでなく、右の「古銃」の本には幕末に膨大な種類と数量が輸入された欧米の小火器に関して詳しい。
射撃競技会などに顔を出すと必ず挨拶とコメントをさせられたのが、どうも
苦手であったように記憶している。
日本の文化、文明の一カテゴリーを究極に付きつめた大先輩であることに間違いない。以上