安齋氏の著作物
安齋氏氏と知り合ったのは偶然に列車の中で一緒になったからだ。目的地までの2時間ばかり、様々なご教授をいただいた。二本松出身、明治大学射撃部で本格的に射撃を始める前から火縄銃に興味を持っていた。その後、私のアメリカ時代に帰国するたびに岸体躯館を訪ねては、いろいろ質問した。火縄銃だけでなく、軍用銃三八式歩兵銃の前期型、後期型、この施條数の差を記したものはなかったと褒められた。
昭和53年に日ラから「砲術図説」A4版を、平成元年雄山閣出版から「砲術家の生活」(平成2年の署名入りをいただいた)、を発刊した。前者はライフルマンの視点で見た古式銃、砲術と、それらを戦前から書いていた論文集である。後者は体系的に江戸期の砲術を多くの画を使い説明した内容である。
元が射撃する人であったから、射撃の基本には厳格であった。その中で良く記憶しておる言葉は
1、火縄銃は黒色火薬と生火を使う。これほど危険なことはない。
2、短筒、片手で操作する拳銃類は装填してから、また不発時など、手にしたまま身体を回してしまうことがある。必ず、まず銃を置く管理をする。
3、日本の火縄銃の目当て。世界に類のない不思議な構造、造りであり、狙い難い。特に筋が細い。なぜそうなのか、君たちの研究が後世に残る。
などである。もう安齋さんのこと、言葉を記憶している人たちも少ないだろう。日本前装銃射撃連盟、日本銃砲史学会の創立に貢献し、多くの会員を集めた。収集物の多くは国立歴史民俗博物館に収まったが個人でも譲り受けた人たちは多い。他の研究者の発言には必ず質問、コメントをした。その返答の内容によってはかなり激怒することもあった。日ラ経営ではワンマンの批判もあったが、今はそういう人はいない。