国友における火縄銃 研究
「国友鉄砲の里資料館」外観
滋賀県長浜市国友町は、大阪府堺市と並んで16世紀半ば、鉄砲の伝来から間もなくしてすでに日本の鉄砲2大生産地だった。鉄砲生産が工業、産業という組織、システムに組まれていたことの証左で、多くの職人が、ノウハウを継承し、分業し、管理されて日本は近世に入っていった。長浜市は琵琶湖に面した便利な場所であり、琵琶湖の水運が利していたのであろう。材料の鉄も現地で生産するよりは運ばれてきたのであろう。江戸期、鉄砲の需要が減り、規模は縮小したが、生産と開発の文化と文明は継承され、18世紀末に国友藤兵衛重恭(一貫斉)が気砲、天体望遠鏡など様々な科学的な製品を開発した。また多くの職人が全国に散り、各地に国友銘の鉄砲が存在する。(安田先生編「全国銃砲鍛冶銘鑑」)明治になっても拡大する工廠、小銃製作所に国友村から多くの職人が移転したと南部麒次郎氏の記録にもある。国友には京都在住の銃砲史学会岡崎会員が度々訪れ各所の研究を行った。現在、国友には2か所の見どころがある。
一つはこの図録「国友鉄砲鍛冶」を製作して市立長浜城歴史博物館で、これは昭和60年の特別展のものだ。国友は生産地であったので、鍛冶の使った道具、その方法に詳しい。もうひとつは「国友鉄砲の里資料館」でここは1987年開設、年中無休で、子供が鉄砲(無可動、鎖付き)を手にすることが出来る。鍛冶の様を館内にマルチスクリーン、ジオラマを造ってあり、楽しめる施設である。
国友の歴史は恐らく信長が安土城を中心に、城下町を作った時に計画された[工業団地]であろう。また皮肉にも大坂方、徳川方、両方に鉄砲を供給した。
ふたつの画は長浜市立長浜城博物館の図録より