「第一次世界大戦と日本海軍」にひそむ軍事と外交のバランスの難しさ

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平間 洋一著、「第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事の連椄」慶応義塾大学出版会刊 1998年 B5版330ページ
何かの義理で購入したが。著者は防衛大学校卒、海上自衛隊艦長であった方だ。第一世界大戦の初期、日本帝国陸軍は英軍と共同し独軍青島要塞を攻略した。その後、英国とロシアは日本に多量の武器兵器弾薬の供給を要求した。その内容と数量は、自分で1990年代半ば、アメリカにいたが、防衛図書館の工廠資料などから把握していた。膨大な量であった。ロシアには三十年式小銃を主に約100万挺、これらの半分は中古だから良いが、英国には新品の三十八式小銃を約100万挺、その他、フランスにも数万挺輸出していたことだ。この本を当時読んでいて、平間氏も同じ頃、同じことを調べていたな、とその縁を不思議に感じていた。日本の小銃を調べていたアメリカの研究家は、三八式小銃製造番号が100万単位で抜けていることを発見していた。さてこの本は、英国の要請を受けて地中海に派遣された帝国海軍駆逐艦8艦の外交的経緯で、実際に連合軍の輸送船護衛、救助、そしてUボートとの実戦をアメリカなど他国の状況、外交を語った内容である。日本には伝統的な親独派存在があった。帝国陸軍は欧州戦線への参加要請に答えなかった。参戦していたら、その後の歴史は大いに変わったかもしれない。戦闘の様子は記述されてないが、日本側にも80名の犠牲が出て、それらの記念碑がマルタ島にあるそうだ。

 

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駆逐艦樺 現在の駆逐艦に比べると小型、約3分の1、700トン以下で12cm、8cm砲各1門を装備していた。速度は30ノットと早い。同型を12艦、フランスの要請で造船し、フランス海軍が同じ目的で使用した。本の内容にはないが、防衛図書館の資料には、以下の資料がある。日本赤十字は今より良心的な存在で欧州戦線に看護婦を20名派遣したそうだ。結局、戦争が終わり、ベルサイユ体制が出来ると日本は中国問題も絡み、西欧からうとまれる。その辺が歴史の不思議で、外交の難しさであるだろう。
 勇敢に戦い犠牲を出しても評価されないケースもある。民主党政権が3年前にインド洋給油作戦を中止してしまったことは、結局、南シナ海の島々の領有、尖閣など東シナ海への波及、日本のテロとの戦いの国際的評価を危うくしてしまった。これも軍事と外交の連椄の例ではないか。