日本人より日本兵器を研究したハニーカット
「ミリタリーライフルオブジャパン」1984年に購入したが当時30ドルだった。
日本では学術的研究とは言え、武器や兵器を所持したり、操作したり、ましては射撃したりすることはできない。だから日本人が4分の3世紀にわたり欧米に負けまいと努力した兵器の開発やその実物はほとんど知られていない。日本軍兵器三部作と言えば、先に
紹介した、ダビー氏の「日本帝国の拳銃」、ラリー・ジョンソン氏の「日本の銃剣」そして
このハニーカット氏の本だ。1980年頃、それまではドイツ軍ものが主流であった、兵器ものに日本が加わったのだ。
この本の特徴は日本の軍用銃をかなり細かく分類したことだ。そして数多くの白黒ではあるが特徴が分かる写真で説明した。またロシアやタイ国に輸出された小銃があった事実に関しても。(英国にも輸出されていたのだが。)小銃の弾薬、装具、清掃具、それらの変遷にも詳しかった。変遷に関しては照尺の変化を見ても同じ三八式6・5mmにも2400mと2200mがあり、この図のように九九式小銃は5年間しか製造されなかったが、最後は単なるピープサイトになっていた。
この本で興味深い事実に日本はこう棹式軍用小銃しか使用していなかったが、半自動銃の研究にも熱心であり、さまざまな形式の試作品を開発していたことを述べていた。
写真は日本特殊鋼の河村博士(左)と南部の開発チームの田口氏の写真だ。こういう人たちが存命中に日本でも研究がなされていたら、戦前の日本の開発力の核心に迫れた。筆者は陸軍開発本部の伊藤 愼吉氏にお会いし直接、お話を聴いたことがあったが。河村博士は帝国海軍零式戦のエリコン20㎜機銃をベルトフィードに改造した技術者だった。
筆者もこの本に掲載されている日本の軍用銃はATFEの免許で収集していた。アメリカを去る際に処分したが、時々それらは日本人にとってとてつもない価値のあった収集物だと思うことがある。全米でも数名の日本人が日本の武器兵器を収集し研究しているが、当然、法律上、日本には持ち帰れないのだ。
なお九九式手榴弾を小銃の銃口に装着して投擲する投擲器、この本の時はまだ知られてなかったが、九九式小銃用には2種類ある。最初に開発された長小銃用と短小銃用だ。この両者の銃身の外径が異なるからだ。また装着には極めて日本的だが銃剣を利用する。これは「日本の軍用銃と装具」にもかなり詳しく書いた。またその後の実験で、大体有効射程は100mくらいと言うことも。
以上