新宿で500発発射の火縄銃大演武

神社での奉納射撃

新宿幕府百人隊が復活し、今年は50周年。名和 弓雄先生が復興の際に尽力した。私の火縄銃研究や射撃法の基本にも関係がある。1970年代の終わり頃だ。
アメリカの第一回の赴任から戻り、火縄銃を持ち帰った。やがて前装銃射撃連盟もできる。そんなことで、この演武には同心として2回、出場した。皆中神社で訓練を受けた。会社から駆け付けても少し遅れた。澤田 平氏は同期だ。
彼は1回出場した。阪口 實氏、近所の靴屋さん、モンゴル抑留を経験された方が銃の手入れ係だった。その頃から膨大な数量の鉄砲があった。演武方式は変化してない。しかし新宿は特にあのあたりは狭い道路で空き地もない。
ロッテの工場で発射したりした。現在は国際的な町で、演武を見たコリアンの歴史認識を新たにさせたのではないかと心配だ。新宿区無形文化財となった。
私も仕事をしていた頃より、泉事務局長との縁で、安全講習を行い、忘年会、懇親会には出ている。

名和先生は故人となったが、当時のいきさつを知っていたからだ。

女性の着付け

女性の着付け

今年は24回目と言うこと。また東北震災のため演武の出来ない相馬天外会、関流の8名の射手を招待した。

地元の会の幹部は裏方に徹している。2年毎に行うイベントなので、射手は毎回練習をする。9月になって3週間、毎晩2時間やる。
最近の傾向は女性の射手が増えてことだ。2割はいる。この傾向は続くだろう。
また若い人たちが多い。平均年齢は30歳くらいか。銃砲所持許可を保持している人も多い。したがって安全性にはくれぐれも気をつけているのと、ベテランの幹事たちが法被を着て裏方で見ている。

 

相馬の大筒

地区の小中学校の校長先生4名、博物館長などが鎧(新物)を着用し、行列に参加する。馬もとうとう2頭になった。
今年は相馬の人々も演武の形式は異なったが撃ったので総数500発。ちょっとない規模の演武となった。

後見役(安全係)を仰せつかり名和先生の鎧を着用した。