鍛冶道具一式

もう何十年も持っていたものだ。造りかけの銃身のあった鍛冶屋から出たもので、
戦前までこの道具で農具などいろんなものを製造していたそうだ。知り合いのつてで
これだけ譲って貰った。唱歌「村の鍛冶屋」にあったような野鍛冶だった。
木製の箱ふいご、槌各種、挟み各種だ。鉄の台は鍛冶場の床に組み込まれており、外すことは出来なかった。この家も今はもうない。道具はまだ沢山あったが。

箱ふいごは横95㎝、幅20㎝、高さ40㎝で上の蓋が開く。実に簡単な仕組みで、左の柄を前後に動かすことで内部の仕切り、毛皮(タヌキ)が張ってある板が、仕切りの前後の室の空気の圧力を変えて、まん中下の丸い穴から勢いよく吐き出す。空気は左右の上の四角の窓から取るが、その窓は内側から圧力で閉まり、空気を取り込む時は開く仕組み。
これだけのことだ。空気の出口は炭火に近いので確か金属の筒を使っていた。空気は押された室から下の隙間を通ってまん中にくる。火は炭だけでなく石炭も使ったそうだった。

槌は鉄部分が上下対照でない鍛冶屋独特のものが、大小2本。短いものは鉄の部分35㎝、直径18㎜、長さ35㎝、親方が座ったまま挟みで叩くものを挟んでもち場所を示しながら叩く。「向こう」という立ったままの鍛冶は、鉄の部分、45㎝、直径22㎜、長さ80㎝の槌で同じところを強く叩く。槌には、他に細かい作業を行う、打つ部分と、削る部分が上下になったものが2本、さらに打ち面が2段になったもの、普通のハンマーと4本あった。もう一人、ふいごを操作したり、炭を入れたりする者がいるから、3名1組となる。手間のかかる作業だ。挟みは8種類くらいあるが、大体柄の長さは35㎝くらいだ。使い易い長さなのであろう。

これは全部異なる形だ、打つものを挟むにしても、平に面を、湾曲し点を、そして複雑に
挟みごと槌で打つなど。実験や研究を軽視しては何の勉強にもならない。勉強嫌いが改造など安易な方式を選ぶ。幕末、日本に来た英国公使オールコックは、鍛冶が道具を担いで来て道端で注文を受けながら鍋釜に始まり、様々な鉄器を修理している様子を観察し、日本産業の潜在力に関して述べていた。
一度、何か簡単なものでも叩いて、実験してみないとその困難な作業の実際は分からない。
ものを見せるだけなら、想像でしかない。