日本最古の武器を見つけた
石斧(せきふ)だ。
一昨年、ブログに書いた。偶然に敷地内の小川工事に立ち会っていて見つけたものだ。
明らかに他の石塊とは異なり、作業員に聴いたところ大水で崩れた右側の壁の中から出てきたものだと言う。市の考古資料館に画像を送った。
(ここからタテ穴住居跡まで約100mある)
館長さんが来てくれた。館長さんがもっていた地図ではうちの敷地から西の谷間、そして峠を越えてさらに西までずっと「縄文遺跡」が分布していた。
縄文人は少し掘った地面に家を作る。しかし採取生活なので、別宅のようなキャンプを作りあちこちに出張した。所謂縄文土器は、縄目の模様がついているからではない。
土の中に縄を入れて焼いて土器を頑丈に作ったから「縄文土器」と言う話をした。
館長さんは敷地を歩いて、ここには家がありましたね、とその場所も特定した。
同じ地区の人たちにこの話をしたが皆、まったく始めて聴いたと言う。田畑で作業をしていても土器の存在にはほとんど気が付かないそうだ。たまたま細かい異物を山のようにしておいた中から土器を復元するそうだ。あとで資料館を見学に行ったがそこで水で丁寧に流した破片を組み合わせていた。そこまで40分間くらい掛ったが、勉強になった。
石斧は全長150㎜、刃の部分55㎜、幅60㎜、元40㎜、厚さ25㎜くらい、重量480g、
少し反った形で、柄に挟んだ跡がある。
(大体実物大 / 拡大表示可)
この石斧は皮などをはいだり、木を切ったり、打ったり、多目的に使用したのでしょうと言うことだった。
縄文時代は16000年くらい前から弥生時代3000年前まで続いた日本列島の、中・新石器時代であり、東北南部はタテ穴住居、貝塚、その他遺跡が多く分布しているそうだ。今とは気候も異なり、落葉広葉樹に被われて、人間は狩猟、植物採取、漁労で暮らしていた。海岸に行き打ち上げられた鯨やイルカ類、貝も取ってきた。そのために土器が必要だったのだ。
「こんな寒いところになぜ」と思うが、気候が異なる、人間も異なる、大丈夫だったらしい。
(一段高いところ樹木の間がタテ穴住居のあったところだそうだ。確かに日当たりが良い。)
ところで、この谷間の人口はどのくらいだったのでしょうか?と聞いたら「40人くらいでしょう」と言うお答えだった。今は放射能災害もあり、せいぜい20人くらいだから、今より、縄文時代、短くても数千年前より少ないわけだ。
館長さんは自分の地図に私の家の場所にも縄文時代のドットを付けて行った。こちら側は初めてだと。
「この石斧は私が貰っていいのでしょうか?」と聞いたら「良いですよ。大切にして下さい。」と言うお返事だった。ところで隣のタケちゃんのDNAと比較するものはないですかと聞いたら、この辺は酸性で、骨は残らないとのことだった。