愛三工業、尊敬すべき軍需産業会社の典型 その2
愛三工業の社名は愛知県と三重県にまたがる位置的なものから命名された。
昭和13年(1938)、日中戦争が始まり厖大な兵器需要に応えるべき製造会社として軍が主導
で名古屋工廠下に創立したと言われている。「八九式重擲弾筒50㎜」が主力製品だった。
八九式重擲弾筒50㎜(個人兵器である)全長608㎜
△にカタカナの「ア」と「イ」をデザインした刻印が名古屋工廠刻印の横に打たれている。
「八九式」は帝国陸海軍の分隊兵器だった。軽機関銃と重擲弾筒を分隊は携行した。
戦後、工場の写真は昭和21年と言うから戦時中、こういうところで兵器が生産されていたのだろう。戦後、自動車部品産業に変身して、エンジンキャブレターの時代には世界一の
シェアをもっていた。しかし機械式キャブレターに時代が去ると、電子的なフュエル供給装置、スロットルボディ、フェルポンプモジュレータなどに。米国に現法があり、工場もある。デミング賞を受賞した品質管理の神様みたいな会社だ。
昔の工場昭和21年撮影
トヨタさんだけでなく、世界中の車メーカーに商品を供給している。
このように戦後も技術力で世の中の変化に上手に対応してきた。
次世代の主流が何になるか?下、同社のHPより
まだ混とんとしているがハイブリッド、EVなどの電子的な部品を高度な技術でエコを目的に開発し、生産することに間違いはない。
気になるのは△の刻印だ。この刻印の三十年式銃剣後期型が名古屋工廠下、存在する。
名古屋工廠下、何社かの製造会社があり、豊田自動織機、金城削岩機、理研鋼材(新潟県)などがあるが、△の刻印は愛三がどこか下請けに製造させたものではないか、と推察している。同社に問い合わせたが、「当時の従業員に聞いたが銃剣の製造はしていなかった」と言うお答えだった。30年ほど前。もう当時の従業員もいないから謎だ。
戦後の社のマークも△をデザインしたものである。以上