会津 白虎隊記念館の展示
白虎隊が自刃した飯盛山のふもとにある民間の資料館だ。観光地化しているので、次々を人が訪れる。内部も広く、展示品は多い。ジオラマで白虎隊の活躍と自刃を描いている。白虎隊は戊辰戦争、鳥羽伏見敗戦後、会津で編成された若年者の戦闘部隊だ。年齢的には16-17歳、武家の子弟が志願した。このような隊が5つあったそうだ。白虎隊も幾つかの小隊に分かれており、全体が340名ほどの構成だったそうだ。武装は火縄銃よりはましなゲベール銃、一部ミニエ式銃を装備していた。
この飯盛山の事件は二番隊が戸ノ口と言うところの戦闘に敗れ、この場所に戻ったが、燃える市内の様子から鶴カ城は落城したと思い込み、20名が自刃した。展示物は玉石混淆、展示方法は効果的でないのだ。
様々な武具や武器が混然と並んでいる。
良い収集物も多い。説明が間違っていたり、良い角度から見えなかったり、
照明が不十分だ。もったいない。
(城から収集されたのかミニエ弾が主流だったが、丸玉も多い?)
弾丸、砲弾の類はアメリカ南北戦争の各地の資料館、博物館のように沢山ある。
これらは実際に戦跡から掘り出されたものなので、これらを観察することにより、この会津で両軍がどのような兵器を使用してかが推定できるのだ。
砲は洋式青銅野砲、何かがおかしい。まず架台と車輪は複製品と記してあるが、
砲耳の付け方、砲身のバランス、そして砲口が二重になっている、ライフルが後のものなので、本当に戊辰戦争に使用された大砲とは思えない。
2門の火縄大筒、一貫目以上はあろう。これらを複製品の架台、車輪に載せてある。これらもあり得ない。火縄大筒は俵などに載せて発射したのが基本で、後に機動性を考えて、架台に載せたものもあるが、縄では大筒を架台に固定できない。実験して発射してみれば、2-3発で大筒は落ちてしまうだろう。
その前の「會」の印の、玉薬箱は小銃用のもので、大筒用バッテリーではない。
この印が後書きでなければ、資料的には大変に良いものだ。またこの2門が当時の実物であれば珍しい。
この砲は火縄銃式のカラクリだが、引き金を引く際に砲手は大変危険である。
小銃は雑多に置いてある。少なくとも、火縄銃、ゲベール銃、ミニエ式小銃、その他後装式騎兵銃、拳銃と分類し、説明を付ければ面白いのだが。
(厖大な収集品)
装具は火縄銃のもの、後に猟師が資料したモノが多い。会津では左下の「火薬入」とわざわざ表示された筒があるが、これは火薬入れではなく、火打ち金の根付である。中にはホクチが入り、左の窪みにホクチを置いてその上で火打ちを打ち、火を作ったものだ。
洋式銃での銃台を半分に切ってあるものは猟銃で軍用に使われた後、払い下げられ改造された銃だから展示には相応しくない。
その他、弓、槍、薙刀、刀などのブレードウエポンも沢山あり、女子隊がこれらを使用したとしているが、どんなものであったのか、この資料館自体の展示コンセプトは何かが見えない。もし、展示を最初からひとつの規準で行うなら、かなり良いものが出来よう。会津の装備、軍備はこんなものではなかったはずで、軍制はかなり近代化されていたはずだ。
観光客相手にごちゃごちゃと入れておいても人は入場料を払う、それでは白虎隊に申し訳ないと感じた。以上