陸上自衛隊土浦駐屯地・武器学校60周年記念式典
第二次大戦後、1951年の朝鮮戦争、その後の冷戦のため、占領軍米軍は日本国土防衛実施が困難になり、警察予備隊、保安隊そして陸、海、空の自衛隊が防衛庁の元に誕生し、そして数年前、防衛省に昇格した。日本の防衛費はGDPの1%を目安として支出される。装備は客観的にみて近代的であると言われているが、憲法の規制で「専守防衛」と言う概念でその運営は規制されている。つまり外敵が明らかに日本国の主権、つまり国土、国民の生命を侵したと言う事実を確認後、内閣総理大臣の命令で初めて行動できる。現実的とは言えない概念だ。日米同盟が基幹であるが、こちらも「集団的自衛権」の問題で米軍が攻撃された場合、日本の軍事力が直接戦闘で米軍を助けることは出来ない状況であると言う矛盾を含んだ運営である。但し、その海軍力、空軍力は近隣諸国の中では抜群の装備と錬度を持っていると言われているし、陸軍力も科学的な考え方、多角的な訓練、幅広い誠意ある運営でその実力を保っている。昨年の
東日本災害では自衛隊の任務のひとつ災害救助で多くの国民の信頼を得たのは
記憶に新しい。
土浦駐屯地は第二次大戦中まで帝国海軍水上機演習基地であった。その後、予科練の本部がおかれ、帝国海軍航空隊の操縦士を始め各種搭乗員訓練の場であった。現在は陸上自衛隊武器学校として学生教育、教育訓練が行われ、ここで教育された学生は各地の駐屯地に戻り、教育された技術を現場に生かす。ひとつの例が「不発弾処理」である。第二次大戦中に空爆、艦砲射撃、その他日本軍が破棄した不発弾は最近でも各地で頻繁に発見されそれらの処理を実施する要員である。戦車その他戦闘車両、自走砲の整備や兵站業務も重要な役目のひとつである。
上、10式戦車 下、90式戦車と74式戦車
本年は駐屯地、武器学校60周年を迎え、去る10月14日(日)午前10時より
好天に恵まれ、濱崎 久実司令のもと、多数の来賓、地元支援者、OBならびに友の会、一般見物客が参加し記念式典、装備品紹介などが行われた。中央音楽隊、保安部隊などの参加も得て、例年以上に賑やかな式典となった。それに続いて、12時から記念祝賀会が体育館で行われた。家族、近隣の人たちの外部展示への参加もあった。
以上