河井 継之助とガトリング砲
(長岡市内の各種展示場のチラシ)
先日、新潟県長岡市に寄った。新潟県では新潟市より長岡に歴史・美術活動が移り、県立歴史博物館、県立美術館がある。そして何よりも戊辰戦争で大きな話題となった「長岡藩」、第二次世界大戦の英雄「山本 五十六元帥」で有名なる地でそれらの展示施設もあると聞いていた。
長岡駅の直ぐ近く「河井 継之助記念館」では、ここのガトリング砲模型製造に尽力した内山 弘氏の講演会があると言うチラシをいただいた。(平成25年4月27日)
長岡での見学の感想は一言で言うと、山本 五十六記念館も含め、すべてを
ひとつにまとめ、充実した展示にすれば大きな観光資源になると感じた。
(記念館の模型 車輪が細く造られている)
また、長岡城とは関係のない丘の上に城状の建物があり、「長岡市郷土資料館」としてここでも様々な展示を観た。両方に違う形のガトリング砲の模型があった。先日、会津で観たものとこれで3つのガトリング砲の模型を見学したわけだ。
しかし、長岡藩はどの形式のガトリング砲をまたどのくらい弾薬を持ち、どう使用したか、などは全く明確に理解できなかったのが残念だ。
アメリカNRA博物館、スプリングフィールドアーマリー博物館にはそれぞれ10種類くらいのガトリング砲が展示してあった。銃身数、口径、給弾方式、車輪の大きさ、などさまざまだ。
長岡藩では誰が運用の訓練をしたのか、実際に河井 継之助が自ら発射したのか、移動したのか、弾薬は十分にあったのか、全部「謎」だ。
ガトリング砲には、固定する船舶用、車輪で移動する陸戦用と大別できるが、
固定式は小口径な銃もあった。また移動には弾薬、清掃装具も含め、馬が必要であった。そのような運用の話も、また新政府軍にどの程度の被害を与えたのか、またこの砲自体、戊辰戦争が終わりどこに行ったのか?
内山氏のご講話も聴いてみたいが。
(会津の展示、上と郷土博物館の展示、下)
ちなみに実物のガトリングは以下のようにとてもヘビーに出来ている。
弾倉も頑丈だ。まずはどの形が来たのかその解明が重要だろう。
(下はNRA博物館の展示の一部)