横田 めぐみさん拉致問題の根底

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(上の画像、左側が付属中学、私の通っていた頃から移転した。拉致は
左側の白いポストあたり。ここから2本目の道、茶色の家の角、そこを曲がって彼女の家があった。右は護国神社裏口、入ったところに戊辰戦争、新政府犠牲者の墓が続く)

私はめぐみさんが拉致される20年ほど前、彼女の通っていた中学の隣に住んでおり、私自身は新潟大学教育学部付属中学校の生徒だった。だから彼女が拉致された護国神社から海岸に掛けては遊び場所であり、地理感はある。めぐみさんは1977年11月に拉致された。当時私はアメリカにいた。
その時、世間は大きく騒がなかった。小泉君が2002年9月、キム正日に会い、相手に拉致を認めさせ、5名を連れて帰ってきたのだ。これも同席した田中 均氏、安部 現総理のお話も聞いた。「韓国が日本にあった仏像を盗み返さない。
しかし生きた人間を盗み返さない。何十倍も悪いですよ。」と言う画商の話も先日ブログで紹介した。この言葉は、ある程度真実だし、あの半島の体質を示している。この事件は、20-21世紀にかけて実際に起きている国家主権侵害のひとつで、それに対して日本は現在何もできないと言う歯がゆさがある。また日本国民の多くは関心をもっているふりをしているが、本当は「無関心」であると言って良い。

先日、新潟に行く機会があり、めぐみさん拉致現場を観て(ほとんどの政府担当者は訪れているが)、やはり人間の直感には差がある。自分の直感を述べる。現場を観て、本能で感じるのはとても重要なことだ。

謎1、私は1977年10月アメリカから戻った。成田空港は完成していたが翌1978年も使用できなかった。左翼の成田闘争だ。そのリーダーたちは国会議長になり、多くの参加した若者はマスコミや主要産業に就職し何食わぬ顔をしている。
この成田闘争と拉致は無関係か。多くの警察官が日本海側から成田に派遣された。その前には「よど号事件」があった。日本の左翼と北朝鮮の動きは無関係ではない、と明言して良い。
謎2、なぜ、めぐみさんか?この背景、めぐみさんの家族状況、彼女の能力、だれか手引きをした人間がいるはずだ。それは朝連の人間かもしれない、左翼
(例えば寄居中学日教組など)かもしれない。無作為に選んだとは思えないのだ。現在は住宅地だが、私が遊んでいた頃、当時も護国神社の横は大きな屋敷きばかりだった。

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謎3、拉致現場から海岸まで直接連れて行ったか? 近いようでも1000m以上はあった。道路には上がりがあり、防風林に松が沢山植えられていて、砂に足をとられ、しかも海岸はこの季節、ゴムボートなど付けられる状況ではない。車で寺泊とかもっと穏やかな湾になっているところに連れ去りそこから船に載せられたのではないか。ベテラン刑事で彼女の足取りがぷっつり切れたことから車で連れ去られたと言っていた人がいたそうだ。(これがルートだ、護国神社
裏門前から坂を上がり、下りて、道を超えて、海岸、当時はもっと長かったを
経由する。いくら人通りがなく、暗くても車が来たら終わりだ。)

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謎4、彼女は今どうしている?
これも講義で聴いた。帰って来た人たちはそれなりに帰れた人たちだ。つまり
北朝鮮に、大きな貢献もしてなかったし、北の実績情報もなかった。
彼女は、美人、頭脳明晰で判断力に優れているのだろう。恐らくかなりの重要職にあり、むしろ支配階級の一員ではないか?

謎5、捜査は十分だったか?
この拉致事件は北朝鮮だけ実施不可能だ。日本人左翼、朝連の協力があったことは確かであろう。日本の捜査はそのあたりまで拡大したのであろうか?

謎6、どのようにこの事件は終結するか?
北朝鮮体制の崩壊、が条件だろうが、そのどさくさにアメリカや韓国の情報機関がうまく脱出させられるかだ。
もとより日本にはその能力はない。
私が生きている間にこの北が崩壊し、この事件の全容が明らかになり、日本側の協力者などもなんとかして欲しいものだ。

もし、私や弟が拉致されたら。ヒットマンに育てられたかもしれない。