長崎「歴史民俗資料館」の和式カノン砲雛型

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(長崎歴史民俗資料館の建物)

先日、長崎「原爆資料館」を訪れた際に同じところに「歴史民俗資料館」があり、時間はなかったがざっと中を観た。長崎は江戸期、日本が国際的に外に通じていた唯一の場所で出島を通してオランダから世界の情報が限定的だが集まっていたことは言うまでもない。また、オランダ、中国との交易を通し、直接、間接に利益を上げた富裕な地域であったことも間違いない。展示品の多くは質の高い、趣味性の良いものであふれていた。

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(内部)

その隅に、和式の恐らく砲台カノン砲として設計された砲架を見つけた。
砲身が2-3mとして10分の1位の大きさであろう。興味をもったのはその架台だ。砲は発射の反動を受ける駐退機構によりその進化が試される。

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(二重架台構造になっている)

この架台は車輪を使ってない。車輪を使わない架台は欧米の艦艇砲には見られる。例えば、スミソニアンの砲艦フィラデルフィア号の船首砲がそうだ。砲架は船床の木製レールを使っていた。
この架台は頑丈な木枠を造り、その縦枠をレールにして砲を載せた架台が後退する方式であった。果たして、この考えは欧米から伝来したものか、日本で独自に考えたものか。砲身の形状を観るとこれは和砲である。だから日本で高島塾などにおいて考案されたもののうちのひとつではないか?仰角は砲身後部の下に楔を叩きこんで調整したのであろうが、左右の角度は
下の頑丈な木枠を梃子で動かす必要があった。
但し、この方式は実際に発射してみれば、何発の発射にも耐えられないだろうと推測するが。

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(出島の模型)