「国民ひとり殺されたら白旗掲げよ」の論理(防衛装備工業会での話)

勿論、国家・社会としてはそんな考え方はない。国家は国民の生命、財産、そして領土を守るが役目であり、そうでない諸問題は次だ。自治体やメディアのことだ。
現在の日本国は
○70年間近く一発も撃たず、一人も殺してない現実
○日米同盟の存在と意義を否定的に捉える世論
○国際的な大きな変化、変革、変貌の流れから目を背けている社会以上の3点に集約されよう。

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下関戦争

しかし歴史をみれば日本の戦乱と平和の波は大きなうねりを示しており、その周期は
約75年間と言って良いだろう。従って次の10年間のうちに大きな国家として変わる
転換期に入ると言っても過言ではない。(大日本帝国は75年間で崩壊し、江戸期も2回の大きな変革があった。ソ連75年間、アメリカ独立から75年で分裂、南北戦争に突入)
日本史のなかで、そういう転換期の一つにアメリカ南北戦争終結の余剰兵器が日本に流入し戊辰戦争で使われた。

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南軍と北軍

こういう話を、先日(社)日本防衛装備工業会でした。
今の日本には全ての事象の判断基準は「歴史にある」と言う認識が欠落しており、その理由は約一世紀間(戦中、戦後)の長きにわたり国民への歴史教育から逃れる社会の姿勢、そして国民の知識、また認識の甘さの存在が、現在の『国の弱さ』であると結論した。
『平和ボケ』という言葉を使う人もいるが。
国防の意識の原点は「元寇」である。鎌倉武士の強さの研究も必要だろう。
戦国期の鉄砲装備、戦国を生き抜いた強い兵による慶長・文禄の役、そして明治維新を達成してからの富国強兵、欧米列強と争いながら、その力による近隣諸国への進出、そして現在。歴史をテレビドラマや司馬遼太郎で勉強するのは情けない。近現代史の重要性はここにきて焦点をあてなければならない大きな問題だ。「平和を望むなら戦いに備えよ」、は国家、社会の原点であろう。

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すでに沖縄などは孫氏の兵法、心理戦に負けているのではないか。韓国もしかり。
冷静に将来の計画・作戦を立てよ、日本。一人でも殺されるくらいなら中国に降伏した方が良い、などと言う人もいるが、中国の支配下に入ったら、何十万の単位で殺されるのは自明のこと。
(この項以上)