「戦争の兵器」Munitions of War
「戦争の兵器」Munitions of War
―1867年パリ万博のアメリカ政府への報告書―
チャールズ・B・ノートン、W・J・バレンタイン共著
A5判286ページ白黒印刷2006年復刻 英文
19世紀、アメリカ南北戦争終了の2年後、1867年パリ万博が開催された。
日本からも幕府と薩摩藩の二つの代表が出展した。大成功なイベントだった。
日本は翌年の戊辰戦争で明治維新を迎える。日本人たちもこの博覧会に出展された各国の兵器の内容に関心がなかったわけはない。熱心に欧米兵器の出展を見学していたはずだ。
米国は前年まで自ら開発した兵器と、欧州から輸入した兵器で5年間、60万人犠牲と言う大戦争で実戦を経験してきた。
米国の軍需専門軍人二人が精力的に万博を見て回り、自国の兵器(表紙にあるガトリング砲)、鉄甲艦艇を売り込んだ。公平に比較すると当時、アメリカは英、独、仏など欧州の兵器一流国には及ばない水準にあっただろう。
だが実戦を経験して来た人間の鋭い目で見た各々の兵器評価は興味深い。
クルップ野砲
以下その内容は
1章 弾薬
シャスポーに代表されるニードルガンの次に来るのは英国のボクサー大尉発明ボクサー雷管のことだ。この本には近代兵器への転換期、雷管→金属薬莢→熕棹式小銃、などの示唆が表現されている。
2章 小火器
米国のスペンサー銃などを紹介しているが、課題は銃の閉鎖だ。熕棹式小銃の出現を予測しつつも現実的にはスナイドル銃と自国の縁打ち式各種を紹介している。
3章 野戦砲
アメリカ南北戦争では前装式ライフル砲(所謂ナポレオン砲)が実戦で多く使用されたので、この種の兵器への関心は高い。フランスの火薬に関しての記述が多い。アームストロング、クルップ砲などの後装式の装填、閉鎖の構造、ライフリング、それらの評価がある。自国のものはガトリング砲。野砲と弾薬など装具のバッテリーを紹介している。
4章 重砲
カノン砲、榴弾砲、艦載砲など、ここでもフランスの火薬を評価し、事実フランスは20年後、世界に先駆け無煙火薬を実用化した。フレイザー砲、ダールグレイン砲重砲に筒と筒を重ねて製造する設計などを記している。産業革命後一世紀近くが経過して、西欧では鉄鋼の生産量が飛躍的に多くなったことが背景にあった。
クルップのライフリング
5章 弾丸
自国のウットワース弾貫通力の優秀性、特に角度をもち目標に命中した際の例や、砲弾のパラシュート弾、籠弾など多種の砲弾と信管、炸裂効果など論理的な内容である。(ウットワース弾は小銃弾、砲弾、平面を持った施條が特徴だ。)
砲弾の例
6章 陸軍装備品
欧州スタイルの歩兵装備、天幕など野営、作戦用具の進歩、その材料など。
7章 衛生装備品
南北戦争の死傷者の多さから関心があったのだろう。医療品、負傷者運搬用具など。欧州では19世紀クリミア戦争の結果、戦場医療に関心が深まりその部門は進んでいた。
8章 要塞構築
当時の戦闘は要塞攻撃、防御に大きな比重があった。設計、構造などとそれに使う材料の説明。
9章 鉄甲艦艇
鉄鋼板、リベットの採用、米国は蒸気船を最初に採用して実用化したのであったので、戦闘艦に関しては当時の先進国であった。鉄板の合わせなど構造面の紹介が詳しい。
結論
欧州各国、特に英、独、仏の優れた兵器技術と将来性を見抜いていたが、自国の縁打ち小銃、ガットリングと、施條方式ではウットワース弾の優秀性にこだわっていた。
この本の興味深いところは、
米国は南北戦争前、欧州先進国に比べると兵器開発では二流国であった。戦後
実戦を数年間経験した軍需専門家がパリ万博で見聞きした欧州の先進技術と自国の実戦経験を組わせた面白いレポートである。そしてこの時期、前後10年間くらいが、世界銃砲史上、兵器が一番発展した期間だっただろう。その意味でもこのレポートの予測は深い。だが、この本が日本語に翻訳されることはないだろう。なぜなら日本では兵器の専門性に知識と興味がある層は狭い。80近い表や図が理解を大いに助けてくれる。
(この項以上)