記録的大雪後「航空自衛隊入間基地」を訪問

私は陸上自衛隊東部方面隊、武器学校に協力しているが、海と空は防衛懇話会、

それと地元(昔防衛庁があったので)の防衛振興会会員として各行事や基地を
訪問する機会がある。今回は地元の仲間と大雪のあと、入間基地に行った。
一昨年末、開館した航空史資料館「修武館」の見学も目的であった。
私自身は過去2回見学したことがあった。

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1、「入間」は日本最大の基地である

面積300万平米(90万坪)で約4300人が勤務する。実に航空兵力の1割だ。
そのうち500名が女性隊員である。基地は西武線で二分されており、南側に滑走路と航空とミサイル施設が、北側にはレーダー関連,管制、事務、兵站施設がある。女性操縦士も3名いるそうだ。

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歴史的には日本最初航空基地として創立され、戦前は陸軍航空士官学校があった。戦後、米軍に接収され「ジョンソン基地」として朝鮮戦争にはここからB-29が爆撃に出撃したそうだ。滑走路の先には「PAC3」が配備され(市ヶ谷モニターとして見学したことがある)、ここは厳重な警戒がされている。
大雪後で、基地の廻りにはまだ雪が沢山あったが、滑走路、エプロン、誘導路は見事に何もなかった。エプロンにはCH-47チヌークとC-1輸送機が数機駐機しており、チヌークを見学した。

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彼は近所に住む航空部後輩だが他の人たちは私が彼の後輩だと思っている。

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エプロンの風景、いつもながら箱型の消防車には圧倒される。F-4練習機が
一機タッチアンドゴーをしていたが、消防車は誘導路脇で待機。
柵の外にはカメラをもったマニアが撮影中、2-3組ではない数だ。

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かなり大規模な屋内射場、多分50mがある。音は出ないそうだ。

警備犬の訓練と犬舎の脇を通ったが、犬だけでも2-30匹はいるのではないか。
基地と周囲の住宅地の間は柵一つだ。沖縄だけではない。首都圏でもこのような状態なのだ。

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2 雪上の屋外展示

戦後、航空自衛隊を育成した機材が並べてある。百里基地にもおなじものが置いてあるが、手入れはこちらの方が良い。雪の上と言うのが面白い画像になった。

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C-47輸送機 DC-3の軍用版で同じものが基地反対側の所沢にもある。
幅33m、長さ23.3m、他kさ6.7m、航続距離2000m、1個小隊を輸送した。

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上はT-3練習機 プロペラの初級。幅10m、長さ8m、速度270㎞
下はT-33ジェット練習機 幅12m、長さ11.5m、速度460㎞

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F-87J第一世代ジェット戦闘機

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F-104J第二世代ジェット戦闘機

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ナイキミサイル

 

3、昼食を食べる

何でもないメニューでセルフサービスだが、何となく楽しい。この日の内容は
健康食だった。ご飯でカロリーは調整するのだろう。白身のから揚げあんかけがおかずだった。

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隊員の背がどんどん高くなるのは基地や駐屯地を訪れるたびに感じることだ。

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4、航空歴史資料館「修武台記念館」見学

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「修武台」と言う名称は航空士官学校創設期に昭和天皇が行幸され名づけられたそうだ。館は一昨年、新設、開館し、日本の航空史を帝国陸海軍の時代から自衛隊までをまとめ、自衛官の歴史教育が目的だ。外部には公開してない。
また撮影は禁止だ。興味のある展示が幾つか見られたが撮影出来ないので、これだけはしょうがない。

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特に興味をそそられたのは、恐らく破壊された機体より回収されたのであろう航空機機銃だ。
4種あった。海軍零式戦搭載三式13㎜(13.2㎜とは別なもの)
陸軍ホ五20㎜ ブローニング方式
陸軍一式12.7㎜一式戦胴体機銃 ブローニング方式
海軍九七式7.7㎜機銃 ビッカース方式.303
である。銃身が曲がったものもあるが、米国でも見られない珍しい13㎜があったのには驚いた。

 

5、保存館の機体

三種あり写真撮影可。
三菱F-1の一号機

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全長18m、幅8m、 1977年から2006年、F-2 が就役するまで約70機
生産された。国産戦闘機の草分けだ。展示場所が悪く写真もうまくとれない。
アンリファルマン機 レプリカ
バートルヘリ

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残る戦前の建物

帰りは中央道が山梨方面からの通行が少ないので、1時間も掛らず四谷に戻った。
入間基地を中心に米軍基地を入れると西から厚木、横田、八王寺と北の方面埼玉県、朝霞から千葉県まで環状になりずっとさまざまな基地が続いている。勿論首都を守るためだ。自衛隊の役目は現在防災に焦点が当たっているが、そういう意味では戦前から組織的に基地や駐屯地は造られてきたのだろう。
(この項以上)