小田原城の意外なる展示物
小田原は品川から新幹線で30分、古い城下町だ。
戦国期には北条氏五代の居城として関東を茨城から群馬ほぼ全域収めていた強力な大名であった。戦国末期、天正18年(1590)豊臣秀吉軍に滅ぼされ、戦国期は終焉を迎えた。江戸期は大久保家が入り、東海道の要所として商業的にも栄えた。戦後、小田原城は小規模ながら鉄筋コンクリートで建設され、城内
5層には主に江戸期のゆかりの品々、文献、地図が展示されていてその数量は多い。また隣接するところには「見聞館」と言う歴史を視覚的に説明する建物がある。(入場料は共通で600円)
特徴は参勤交代に使用したのであろうか、箱類が揃いで残されており、弓の収集が充実している。(以下は現場の許可を得て簡易撮影した一部の展示物)
1、鉄砲関係
①かなり昔から展示されているSW2型、軍用と護身用、・32口径
②火縄銃を収納するラシャの袋 火縄銃は米沢筒と仙台筒があり、小田原で
どのような鉄砲が使用されていたかは知るよしもない。
③くくり玉の各種
④火縄銃に使用したじょうごと言うが材料から後期のものであろう 火薬入れ、玉入れとは合ってない。玉入れから推察するに口径は12㎜ほど、じょうごは必要ない。
⑤鑑札 箱根の猟師に鉄砲所持を許したもの
⑥小型胴乱 横幅が10㎝以下なので特殊な使いかたをされたものだろう
年少者用か、狩猟用か。
⑦これは珍しい大筒砲架 西洋式でないので、海岸の台場で使用されたものではなく、大筒の流派のものだろう
2、弓矢
弓も重籐をはじめ各種が展示されているが、矢、鏃はあまり質が良くない。
とりあえず稽古用の矢を入れているものがあり、残念だが、その他の箱、蝦類は他にはない同じものの数量が揃ったものがある。
① 古式の蝦
② 揃いの蝦 10個ある
③ 流鏑馬の蝦 左、右の矢台は後世の製作
④ 矢箱 棒で2個を担ぐ方式で、大阪城に箱がひとつのものがあるがこの
参勤交代(行軍方式)の展示はとても珍しいのではないか。手前はただのつづら
鎧甲冑の類も量がある。埃が被っているので、ボランティアとして手入れを
手伝うと申し入れてあるが、未だ返事はない。
(この項以上)