満開の桜と堂々の陸上自衛隊富士学校
板妻駐屯地を出て2-30分で小山の富士学校に到着した。富士山のちかくには板妻1500人、駒門1500人、瀧ヶ原1500人規模の駐屯地と、富士学校3000人の計7500人の陸上自衛隊がおり、東富士、北富士の演習場を使用している。その中でも富士学校は特別な存在である。
歴史、規模、そして訓練の内容だ。施設は学校だけでなく、教導団、開発実験団本部などの組織があるが、一般に「富士学校」と呼ばれている。私は4年ほど前に、初級幹部クラスに「日本兵器史」の講師をしたことがあった。
到着が昼食の時間であったので、バスを食堂に横づけして、全員昼食をとった。
1200カロリーだったそうだ。
富士学校は海抜800mの高さにあるので、この5月も末になり、数千の桜が満開であった。学校の任務で最も象徴的なのが、陸上自衛隊の3種の機能、普通科学校(福岡)、特科学校(砲、千葉)そして特車教育部隊(戦車、群馬)の3業務を一か所に集め連携的な訓練実施し幹部を養成することだ。
一般幹部候補制課程→幹部初級と続き、隊員をまた元の組織に戻すのだ。学生にエリート意識があろう。また幹部レンジャー課程教育を行っており、各地のレンジャー部隊を養成する要員を教育する。近年、日本の地上部隊もコマンド活動が要求されつつあるからこれは重要な教育だ。
1、 新設なった資料館
屋内
我々が新資料館を見学する最初の団体の名誉を得た。屋内と屋外に分かれ、屋内には日本帝国陸軍創設に功のあった大山 巖元帥の日露戦争時の遺品が展示されている。4つの部門に分かれておる。
① 帝国陸軍の創設から
室内全景と大山元帥の遺品
珍しい三年式機関銃
② 自衛隊の創設から
③ 礼服・被服・個人装具類展示
④ プレゼンテーションルーム
いずれも大きなスペースで真ん中にケース、廻りが壁展示だ。
以前は屋外にあったが、新装され屋内に出世。
2、 屋外
供与時代、国産時代、現在の戦闘車両、火砲、初期のミサイルがおよそ30点、展示されている。
この様な機甲車両が戦後国産化されたのは意外に早かった。冷戦の際に、米軍から供与された戦闘車両は、昔の少年戦車兵などが上手に操作して、米軍が供与した国々の中の優等生であった。しかし自動車と同じく、戦闘車両も寿命は10年間くらいだ。それで「61式戦車」と「60式装甲車」が開発、制定され生産された。これらが現在日本の戦闘車両の基本となっており、10式戦車が最新のものである。
10式戦車の説明
国産61式戦車 90㎜主砲 全長8.2m 全幅2.95m 三菱重工業 560両
国産60式装甲車 全長4.85m 全幅2.4m 三菱重工業 推定600両
国産67式 30型ロケット 全長8.2m ロケット4.5m 射程3万m
各種の米軍供与時代の戦闘車両、火砲
まずは素人に対しての懇切丁寧なご説明に感謝する。
見学後は売店によりみやげを購入した。売店横のヘアサロンの料金表
午後の富士学校見学も自衛隊の任務がどう変わるか、私はゲリコマ対応が重要であると思うが、その方向性を学んだ。
(この項以上)