日本に江戸期、鉄製手錠はなかったか?

堺屋 太一が書いていた。「西欧と日本の文明の差のひとつ、日本には鉄製の手錠で犯罪人を拘束しなかった。」???
実物が残っているし、町役人の文書にも掲載されている。刑罰として鉄製の手錠や足かせを使用したそうだ。閉門と同じ概念ではなかったのか?
最近、知人に面白い実物を見せて貰った。十手なども明治にかかるまで使用されていたので、これらもそうかもしれないが、西欧のものと明らかに異なると。

 

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左二つが手錠、右二つ鎖でつないであるのが、足かせだ。
もう少し詳しくみると、左から、
1、 この手錠の鍵は板状のもので、右の穴に差し込み開ける。倉の鍵などに見られる方式だ。刑罰としては鍵の替りに紙こよりで止め、家に帰ったら、外して生活する。呼び出されときは紙こよりで止めて行き、役所で鍵に替えると言うような方式だったと言う。(名和先生の話より)
つまり形式的な刑罰だったのだろう。

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2、 箪笥の銘々錠のような方式で西洋式の鍵は明治20年頃まで生産されなかった。

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いずれも掛けられたら相当にキツイものだろう。

 

3、 足かせ あるいは明治のものかもしれない。板状の鍵は後から造ったものだが、薄いもので、横の出ているへそに入れ解錠する。

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4、 足かせ 極めて日本的な形状、造りである。鍵は銘々錠と言われるもの。

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以上だが、様々な形のものがあり、捕縛には細い縄を使用したが、鉄製の手錠も堺屋の言うことは誤りである。江戸時代は我々が考えるほど
単純なものではなかった。
(この項以上)