地元部隊の『岩手駐屯地』研修
はじめに)
岩手県とはこんな地形だったのか、初めて詳しく勉強した。人が多く居住するのは奥羽山脈と北上山脈の間の細長いところだ。後は東日本大震災の地震と津波の両方の被害を受けたリアス式海岸で有名な沿岸部。
真ん中に盛岡がある。盛岡から北、南には行き易い。しかし東、西は山越えとなる。
全国には160近い駐屯地があるが、岩手駐屯地は特科部隊、戦車、砲、ミサイルを専門とする。1600名の隊員の特徴は、80%が岩手県出身で、90%が東北出身だそうだ。まさにご当地部隊だ。
(出入りには儀礼)
今回の研修では①FH70、155mm榴弾砲訓練、②74式戦車搭乗、③資料館見学などであった。
仙台でも雨だったが、盛岡ではほぼ一日雨降りだった。
だが、部隊は私たちにとても気を使ってくれた。移動はバスだが、どうしても歩くところは傘を用意してくれてあり、また戦車搭乗もカッパを着せてくれた。
地方の駐屯地のもてなしには感心した。
①FH70 155㎜榴弾砲中隊の訓練
空砲を各々2発、斎射と翼次射を行ってくれた。指揮所より戦況が報告される。
榴弾砲中隊の出動が命令される。野砲隊は指揮機関より目標を指示される。その前に偵察車がぐるりと広場を廻り安全を確認、続いてトラックに曳引された砲が3門入ってくる。引き離し、脚を開き、砲身を上げる、ほんの2-3分の作業だ。一門に数名が掛る。
砲弾を込めてまずは斉撃(一斉射撃)。
すかさず2弾目を込め、左から右に翼次射(連続射撃)。
これらを手際よく見せてくれた。観測機関より成果が報告される。
雨中だ。我々は横に張られた天幕の中で見学した。30㎞先の目標を撃つ、コストパーはミサイルより良い。同じものを英国、独逸、伊が装備している。
特科中隊は野砲隊、指揮機関、観測機関のチームワークだ。また測量などの数式技術、通信そして砲弾の補給などの兵站が確保されてなければ効果が少ないことは言うまでもない。
② 74式戦車搭乗
もうこれが経験搭乗としては最後かと思うと名残惜しいが、雨で中止になるところだったが、我々の祈りが届いた。戦車隊は岩手演習場で訓練中であった。
その中から一両だけが我々のために戻ってきてくれた。
戦車は岩手山に向かい一直線の舗装道を登った。
駐屯地の門を出る。キーンと言う音を立てて、民家、農家、そして畜舎を通り過ぎて、その先にある演習場に向かった。途中で今度は引き返し、下り坂を下りた。
戦車の整備工場ではもくもくと作業が行われていた。
この他にもFH70榴弾砲の詳細を説明してくれ、また敵砲砲弾の軌道計算に使用するレーダー類の説明があった。しかしミサイル、高射特科大隊はやはり大隊訓練中で装備品は展示できなかった。だが榴弾砲は装填、閉鎖、発射、排莢などの課程を若い隊員が説明してくれ、砲の好きな筆者は興味深く聴いた。
(東部方面隊広報から我々に付き添って呉れた「修学旅行の先生役」ワイ三佐が「野戦特科部隊」出身であったので、いろいろ聴かせてくれた。)
③ 資料館
驚いた。江戸期、戊辰戦争、日露戦争から第二次大戦までの資料が山ほどあった。説明を読むと、郷土の人たちの寄贈品だ。これは郷土部隊の強みであり、
先祖代々伝わる我が家の戦争に関するあらゆるものが持ち込まれているようだ。
館長は通称『タコ入道』と言う方で、それぞれの品目に非常な愛情と知識を持ち、面白可笑しく説明してくれる。だが、資料館自体が悪いが粗末な建物で、所謂博物館的な展示になってない。しかし繰り返すが個々の展示品は珍しい、貴重なものばかりだ。特に被服や身につける装具は充実していた。
江戸期のもの
夜の懇親会で司令に頼んだ。建物を何とかして、系統的かつ歴史的な説明を加えれば一流の「郷土武器兵器歴史館」になると。「タコ入道」氏は親の代からの岩手駐屯地勤務自衛官だが、もう直ぐ定年とのこと、後継者に頑張ってほしい。
自衛隊でなければ出来ないことは沢山あるが、こういうものもそのひとつだ。
偶然か?学生の頃、山形県神町駐屯地で観たものがあった。
近衛連隊の軍帽、略帽、参謀章
右上は電熱航空服
日露戦争騎兵の被服、コサック兵との戦闘のあと
礼服のコレクション
山下大将の被服、ここまでくるにいろんな由来があった
初めて見た、日本の救助用ストレッチャー
資料館と「タコ入道」館長、どうにかしてあげたい。
おわりに)
郷土部隊の良さは今回の滞在でよく理解できた。特殊な地域や県にはこのような性格も必要だと感じ、彼らのホスピタリティに感謝する。
(この項以上)