東北地区研修仙台駐屯地

はじめに)
本年の東部方面隊研修は東北地方であった。陸上自衛隊、仙台と盛岡の駐屯地、航空自衛隊、松島と三沢基地の基地であった。(昨年は西部方面隊、九州地区)
駐屯地と基地の呼称の差は、「駐屯地」は明日にでも移動できる体制、「基地」は固定している、である。航空基地は航空機の運航に必要な常設設備、滑走路、各納庫、レーダー、通信、管制、整備、兵站(燃料や装備)など大掛かりになるから「基地」だ。英語では「キャンプ」と「ベース」に使い分ける。
今回訪問したいずれの地も過去3年間、東日本大震災、津波災害を直接被り、また救援活動の拠点となり多くの隊員がその作業に従事した。
特に松島基地は津波を受け、多くの機材が被害を受けた。三沢基地は、訪問当日、米軍にグローバルホークが到着し緊張していた。全体として良い体験をした。
仙台駐屯地)
仙台駅から南に向かう、途中帝国陸軍仙台連隊のあった場所を通り過ぎ、15分ほどで、東北方面隊の中核、仙台駐屯地に到着した。戦中まで陸軍造兵廠仙台製造所で主に弾薬の生産にあたっていたそうだ。戦後、米軍の「キャンプ・シンメルフェニヒ」となり、1950年に警察予備隊が同地に編成された。
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1、 東北方面隊の概況を聴く
ここは方面総監部であり、第6、第9師団2万人の中核である。第6は山形、宮城、福島、第9は青森、岩手、秋田である。
2、 昔の教会で震災活動を聴く 米軍時代の教会

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現在は「震災資料館」となり、震災の被害の様子、自衛隊の活動が展示されていた。米軍との共同救助捜索作戦が実施され約10万人が動員された。
医療活動をはじめさまざまな活動が行われていたが、これは各所で聴いた実感として「行方不明者の捜索」が最も大変な作業であり、また隊員個人にも大きな負担を掛けたことは想像に値する。

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その後昼食を食べ駐屯地を後にした。

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(この項以上)