3 、擲弾筒
帝国日本軍には2種類の擲弾筒があった。十年式擲弾筒と八九式擲弾筒だ。
前者は大正10年制定(1921)、確たる文書はないが南部 麒次郎氏開発であったと推定する。時期、作り、発想が「南部」なのだ。十年式曳火手榴弾底に筒状のブースターを装着し飛ばす。仕上げ抜群の兵器芸術品で、数千門が製造された。後者は昭和9年(1934)制定で、12万門もの数量が生産された分隊兵器だった。50㎜専用砲弾と十年式擲弾筒に使用した十年式手榴弾を使う。
この種の兵器は帝国日本軍独特のもので、第一世界大戦中、塹壕から手榴弾を遠くに投擲するに様々なカタパルトが考案されたが、いずれも危険なものだった。また第二次世界大戦後、イスラエル、英国で同じような個人携帯擲弾筒は
開発された。アメリカ軍はこの擲弾筒に対抗する60㎜迫撃砲を1942年に制定したが、日本の重擲弾筒のように一人の兵が運搬、操作できるものではなく、分解し4名の兵を要した。左、十年式擲弾筒、右、八九式重擲弾筒