陸上自衛隊宇都宮駐屯地研修

(はじめに)台風8号が沖縄に掛り、関東地方も雲ゆきは怪しかった。
朝霞を出て東北道から北関東自動車道に入り、「壬生」に向かう。ここを経由した宇都宮郊外に駐屯地はある。
「壬生」は江戸期、日光参拝の将軍が、東北各藩の参勤交代が泊まり、戊辰戦争では激戦が闘われた歴史上重要なところであった。銃砲史学会に「壬生」の学芸員さんが来て講演した時に、まず「壬生は司馬遼太郎が書かないから知られてない、云々」と話が始まったことを覚えている。
「シバリョウ」がまさしく日本の歴史を創造しており、NHKがその尻馬に乗っていると言っても過言ではない。
そのせいか、自分の宇都宮あたりの認識も少なかったが、最近2年間ばかり栃木の射場で、トラップと大口径ライフルを練習するので、関東北部の地理感も出来つつあった。
戦前、このあたりには「中島飛行機宇都宮製作所」があった。
中島は戦後、スバルの富士重工になったが、敗戦までは東洋一の航空機メーカーで、関東地方を中心に数多くの工場があった。

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四式戦

陸軍九七戦、一式戦、二式戦、四式戦(疾風)、そして零戦(三菱開発)の6500機などを生産した。四式戦は約3500機がこの地で組み立てられた。
そのために、宇都宮には1700mx45mの滑走路があった。
余談だが、私の著作「日本の機関銃」に日本上空で撃墜されたB-29数があるが、1945年2月4日、宇都宮中島航空機工場爆撃で12機を失った。乗員11名、1機で小学校300が建設できるB-29、米軍とっても大きな損害だった。

1、 宇都宮駐屯地の任務

主に3つに分けられると説明された。
① 第12特科隊(砲隊)
155㎜榴弾砲FH-70の部隊、一門の砲は9名で操作するが、先の岩手駐屯地の際にも書いたが、砲を曳引するトラック、観測、指揮、砲弾供給、など、部隊としては大きな編成である。また裏の砲列を観たがかなり数量があろう。

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FH-70

② 第307施設隊(エンジニア)
昔で言う工兵だ。75式ドーザと言うのがあり、それを扱う訓練、架橋訓練など設営関係を実施、災害時には大活躍する。

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75式ドーザ

余談だが、東北の建設業界は重機免許を持ち操作する人間が不足しているので、自衛隊退職年齢を下げろと議員に要請しているそうだ。しかしまだこの先どのような災害もしくは有事が発生するか見えない。重要な人材は国家の宝だ。

③ 中央即応連隊(大臣直轄)
いつでも出動できる体制は災害でも有事でも出来ていることであろう。

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車列

察するにこれが宇都宮駐屯地の大きな任務だ。緊急対応訓練、検門訓練など実用(実戦)的なことを行っている。人数的にも多くを占めている。首都圏で何かが起こった時に即応する部隊、そんな位置づけだろう。

2、 装備品研修

① 近くで観た92式地雷原処理車 海外での関心が高い。

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② 偵察用オートバイ ホンダからカワサキに変わった。

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③ 高機動車

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④ 軽装甲機動車 時速100㎞出る。この車両も海外での関心が高い。

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⑤ 96式双輪装甲車

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各展示、担当隊員の丁寧な説明があった。

3、 資料館

「宇都宮駐屯地防衛資料館」として一般公開されている。自衛官退職者の
ガイドもあり、立派な建物は関係者の寄付で建設したそうだ。
自衛隊資料館としてはAクラスであり、学校関係の見学者が多いそうだ。
2-3の細かい記述の間違いはあるがそんなことは問題にならない、立派なものだ。約3,000点の所蔵物がある。
那須で晩年を過ごした大山巌元帥の遺品コーナーが充実しており、彼はガンマニアであったかもしれない。

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大山元帥コーナー

 

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資料館外観

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大山元帥の拳銃

 

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銃器類

 

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第14師団コーナー

戦前の大演習の記念、朝鮮や台湾出身の高官写真、ビルマ戦線の遺品、などが多くあり、見学には一日間を要す規模である。また、退職者のガイドも丁寧で、宇都宮駐屯地の歴史の流れが良く理解できる優れた展示である。

(おわりに)
首都圏を囲む、関東各地の各駐屯地の役目は、首都圏に差し迫る災害(特に
首都圏直下型地震)とゲリラコマンドー攻撃など有事、これらを即、対応できる体制と訓練であろう。首都圏をぐるりと囲み、回転翼機や機動車を使用して
できるだけ早く、有効な手立てをとる。幸いに道路などのインフラが整備されつつあり、心強い存在になりつつあることは事実だ。

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(この項以上)