横須賀の『戦艦三笠』は偽物か?

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(はじめに)
先日、米国海軍横須賀基地訪問前に入口のすぐ横の『戦艦三笠』記念館に寄った。私は小学校4年生の時、先生が海軍出で、有志を親の了解のもとに募り、ここを訪れた。彼の詳しい説明に、そうか、そんなこともあったのかと歴史に興味を抱いた。ミニッツ提督がソ連の反対を押し切り、同艦保存を提唱していた頃で、今のように木砲もなかったと記憶しているが、印象は深かった。あのことが無かったら、歴史がこれほどに好きで、重要なことと認識していなかったかもしれない。日教組がのさばる直前だったのではないか?
それからダンさんと行った。何回かは訪れているが、その度に、絵画、偽物も含め、展示館としては充実してきている。

(変化を続ける「戦艦三笠」)
今回も1時間、時間があったので、走りまわって来た。

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艦橋のスペースは、
余りにも有名な東郷提督の「皇国の興廃、この一戦に・・」とZ旗の画、しかし実際の艦橋はすごく狭い。これは正確だろう。見てみないと理解できない。
本当にあんなにぎっしり参謀以下が詰まっていたのか。いたのだろう。

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日本海海戦の石版画

(「三笠」の武装と戦闘)
1905年5月27日から28日に掛けての日本海海戦では旗艦としての任務についた。説明を読むと意外に多くの犠牲者を出した。

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日本海海戦の石版画

「三笠」は20世紀初頭、英国ビッカーズ社製15000トン、長さ131m、幅23.2m、丁度その後研修に行った米国駆逐艦と対して変わらない大きさだ。

武装は主砲40口径(30.5㎝)2門、副砲(後ろを向いている)同じもの2門、
副砲15.2㎝14門、対水雷艇砲7.6㎝20門、4.2㎝単装砲16門、魚雷発射菅4門で、現在観られる砲類はレプリカの木砲だ。

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アームスストロング砲後尾、正確ではないが。

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前部

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側面下は内部

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7.6㎜砲

様々な砲をレプリカとは言え、うまく復元してある。

信濃丸からの「敵艦ミユ」の報の無線連絡を受信する様子も復元してあった。日本は当時の世界最新技術をほとんど採用していたことが分かる。そうでなければ戦争は勝てない。

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良く出来ている

(その他の展示物)
不思議なものもある。
外部に安政大地震で難破し幕府が買い上げたディアナ号の青銅砲だと思うが、タールを塗ったくったものが、また小型ガトリング.44-45口径位のもの、その他被弾した砲身やロシアの楯など新たな展示もあったが系統的なものではない。
研究者には参考になる。この砲はディアナ号のものではない、陸砲ではないか?

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日本の7.6mm砲弾が貫いたロシア艦艇の楯

(東郷提督何思う)
「三笠記念館」は便利な場所にある観光地として多数の訪問者を集め、内部の展示や映像説明も良い。入場料600円も十分に利益があがる額だ。
だからこれ以上、艦艇の状態が悪くなることはない。
何よりも「本物」の「三笠」であることは間違いない。最近の横須賀は高層住宅が連立し、「三笠」は近いうちにどこから写真を撮影しても、建物が背景になるだろう。親子ずれ、子供が「日本は戦争したの」と聞く、ヤンキー風の親はもぐもぐ、これでは困る。日本人に残った戦争遺物は重要な歴史研究、勉強の
素材だ。

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三笠の鉄で造った日本刀がある

(この項以上)