在日米軍基地は「悪」ではない!

(はじめに)

「こんなに良い人ばかりだのに、なぜ日本のマスコミは米軍を悪く書くのでしょう。」と広報係のM女史が嘆いた。彼女は英語が上手な日本人で長く横須賀基地に勤めている。

私はさらっと言った「メディアは革マルが多いのですよ。一時、沢山入社したのです。」

米軍人のなかには程度の悪いのもいて、横須賀や東京で暴れると大記事になり、

何百人ものボランティアが災害支援だけでなく、横須賀近辺のホムレさんに炊き出しなどしているが、そんなことは知らん顔だそうだ。基地外で暴れた連中は日本の警察に留置される。引き渡しを渋ることなど今は一切ない。

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1,      基地の面白い点

米軍横須賀基地、東京ドームわずか2個分の敷地しかないそうだが、米国の小さな町を訪れているようなのどかで、明るい雰囲気だった。

横須賀が位置する三浦半島は不思議な地形で、切りたった岩山をびっしり樹木が覆ったデッドスペースが多い。利益のためには誰にも負けないマンション業者はそれを切り開いているが、基地内では帝国海軍時代より200以上の防空壕、長さにして横浜までの距離に相当するそうだ。それらは原則蓋をしてある。事故などを恐れてだ。

だが、潜水艦司令部がその一つを使っている。多分、相当大規模なもので、東アジアに展開する米海軍潜水艦に長波無線、衛星無線、その他様々なコミュケーションが可能で、しかも核攻撃にも耐え、長い期間作戦できる広大な施設なのであろう。米海軍は帝国海軍の横須賀のこのような活用法をうまく利用している。

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2000人の米海軍人が勤務しており、同規模の日本人従業員がいる。

 

2、帝国海軍横須賀鎮守府に憧れていた米海軍

横須賀鎮守府の建物をそのまま米国海軍司令部にしてある。ここが米韓軍東アジアの中心だ。しかし入口を入ると左側にまずは帝国海軍の司令だった人の肖像が時代順にずっと掲げてある。最初は幕臣小栗上野介であった。帝国海軍の次に米海軍の司令が現在まで続く。つまり自分たちも鎮守府のつもりなのだ。

階段なども鎮守府の時代のままだ。時代的にも帝国海軍が75年間、米海軍が

70年間、拮抗してきた。

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階段の上には多少おかしいが、武士の魂が。

 

3、「第三国人」は米海軍横須賀基地を見学出来ない

日本の運転免許証はいつの間にか「本籍」の項が空欄になった。これは考えてみれば誰の策謀かは分かろう。小沢君だ。米軍基地が日本籍以外の人間を入れないのは、結果論だが彼らに米軍に不利な情報の類を中国、北朝鮮、ロシア、韓国に流す率が高いのだろう。まさにマッカーサーの失策だ。それで日本人と証明するためにパスポートを持って行き、バスのなかに係員が入り一人一人点検する。

「第三国人」とはマッカーサーの命名らしいが、国家、社会だけでなく個人にとつても中途半端な制度と言って良いだろう。

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基地内は機密がいっぱい

 

4、階級別の倶楽部・食堂とそこでの会話

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昼食は将校食堂でビュッフェスタイルだった。長テーブルに座り、米軍の責任者、広報担当を囲み、企業関係の会員の質問に答える形式だった。

私はこれから数年のうちに世界の枠組みが大きく変化すると言う自分の論、半ば哲学を話した。理解していただいたかは疑問だ。

雰囲気は良く、料理はおいしかった。料理の一部を紹介しよう。

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まずはスープとサラダ

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メインはスペアリブをとった 豆はチリビーンズ

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そしてデザートカウンターからアップルパイとアイスティをもらった

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のんびりゆっくり会話しながら食べるところが違った。

 

5、米海軍は徳川幕府が建設開始したドライドックを今でも使用している

江戸幕府、小栗上野介が横須賀を開いたと言っても過言ではないだろう。

反射炉に始まり、造船所、そしてドックが完成したのは1971年と明治2年になった。江戸幕府がフランス人ヴェルニー技師を雇い設計、建設した。ドライドックは艦艇には必要不可欠なものだ。普段は水の入っていないプールだ。そこに水を入れ、艦艇を入れる、艦艇を固定して水を抜く、そして船底を始め、足場を組んで、現代的な艦艇であればレーダーなど電子装置、無線、機関、その他様々な整備補修を行う施設のことだ。この江戸期のドックは長さが124mあり、運搬して来た石を日本的な「間知積み」と言う城壁などと同じ手法で建設した。

だから丈夫で150年間も使用されており、このドックは様々な歴史を見て来ている。なお、艦艇の補修状況は撮影できない。

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米軍基地に江戸が生きていた

 

6、日本が危ない時に米海軍は闘うか?

当然闘うと思う。それが彼らの仕事と国家、社会から正式に認定されているからだ。日本の自衛隊はまだそこまで至ってないと感じるが、彼らも国家、社会、家族のためには十分命を投げ出すと今までの研修で感じている。もし自衛隊が「国防軍」と言う名称を与えられ、ある程度の自己判断を認められたら、それは米海軍と同じことだ。

闘うことを忘れたら、それは軍隊ではない。

そして、彼ら米国海軍は日本的である。これは良い。メディアの報道を信じてはいけない。かなりこの国、日本を理解し、愛していると感じた。個人的な経験だが米国で仕事をしていた期間、本社の私への批判は「お前はアメリカ的になっている」と言う言葉だった。しかし米国を理解し、好きにならねば仕事は出来ないのであった。米海軍はそんなにヤワではない。闘う時は全力で戦う。

 

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(おわりに)

すっかり日本に溶け込んだ米海軍であるが、しかしこれに甘えてはいけない。日米同盟は条約に基いた関係である。「友情」は必要であろう。しかしお互いの義務を果たさなければ基本的には単なる言葉の約束だ。「集団的自衛権論争」はそこを目指してしたのだ。

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国民の日米同盟への認識が甘い、緩いのは残念であり、その背景、左翼的メディアの存在は日本にとってとても危険なことだ。

(この項おわり)