富士駐屯地「開発実験団」の役目

先日、平成26年度総火演予行見学の際に、富士学校を訪問した。
富士学校には何回か行ったが「開発実験団」では研修してことがなかった。
なかなか良い話を聴けた。また現在、開発実験団が何に取り組んでいるか、
一部は説明で明言がないから推定だが、それらに触れてみたい。
写真撮影は禁止であったが、研修中、上空の「オスプレイ」を見ることが
出来た。

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1、 開発実験団とは

陸上自衛隊における開発実験団はどこの国の軍隊にもある部署で、帝国陸軍の場合は「技術本部」だったと考えられる。
これからの戦闘で、どのような機能、性能をもった武器兵器が必要であり、そのスペックはこのように、使い方はあのようにと、まずは概念を明らかにする。
その中には価格も入っている。それらのスペックを元に民間会社に開発を発注する。出来てきたものを試験する。試験をして性能が規準を満たすまで改良を続ける。性能が規準を満たせば、生産に掛る手順に入り、制式に日本国陸上自衛隊兵器として制定する。
大体以上のようなものと考えられる。
具体的には①装備全般、②部隊医学、③システム関係と説明された。
場所的には、航空機関連が明野(三重県)、医学関連が三宿(東京都世田谷区)に、その他部署は富士に存在する。

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「開発実験団」本部の入る建物、実験は別棟で行う。

2、 我が国の戦車開発にみる先進技術保持

例として説明を受けた。機甲科が使用する戦車は現在日本では戦後の第四世代の10式である。自衛隊が発足した1950年代初頭より国産の戦車開発の構想があり、防御力、火力、機動力など、各国戦車の性能、戦闘想定など様々なデータが検討された。そして完成したのは61式、1961年であった。三菱重工が製造したが、製造に関わった会社は1200社ほど。産業全体のレベルが上がらなければ、要求を満たした戦車は開発生産できない。従って、一旦先進技術の活用を停止してしまうと、再開するには厖大な時間と費用が必要になろう。

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61式戦車数百両生産された
(私の研究では戦前の戦車国産化は2段階に分かれる。最初の段階は
軽中戦車、歩兵と共同作戦をとる目的で、八九式、九五式軽、九七式など、
数量、武装共に、重要視されてなかった。第二段階は本土決戦用に開発された
米軍型の一式、三式、四式などの比較的大きな溶接製造の数百両の戦車戦用戦車、現在三式が1両、武器学校で展示されているだけだが、開発、製造技術は
工廠、民間に残った。)
3、 実績と現在の取り組み(推定)

傷病の予防、応急治療に関する研究やシステム運用に関する研究も含め、13年間に250件の研究をおこなった。本部から少し離れたところにシステム総合研究棟があり、そこまで移動して3件の例を見学した。
(私が推定する現在の取り組みは、以下の3件であろう。
① サイバー関連、インターネット環境、部隊内コミュケーションのセキュリティと逆探知による攻撃手段開発
② 無人兵器 地雷探知処理など初歩的なものに始まり、無人偵察、無人防御や攻撃の武器兵器開発
③ センサ、レーダーなど探知能力の向上を目的とした戦力の開発)

実験開発団は秘匿性が高く、なかなか訪問できるところでないが、今回は良い
機会を与えられた。
(この項以上)