木更津駐屯地第1ヘリコプター団研修

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はじめに)平成27年2月22日(月)、港区防衛懇親会と市谷防衛懇親会の
二つの団体と一緒に同駐屯地を訪れ、現行陸上自衛隊で使用されている機材一部の整備および試験飛行状況を視察し、CH47J1(チヌーク)に搭乗し、東京湾上空20分間の飛行を体験した。木更津駐屯地には陸上自衛隊最長の
1850m滑走路を有し、約1400名の隊員が駐屯している。

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先輩の後輩

整備状況の研修)陸自で使用している回転翼機(ヘリコプター)には各種あるが、当日はAH-1 (対戦車ヘリ)とOH-1(観測ヘリ)の二つの機材の整備状況を格納庫で研修した。各ヘリの操縦士が直接、機体の任務や特性を説明してくれた。

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AH-1

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計機異常なし!

また格納庫の外では整備の終わった各種の機体が試験飛行を続けていた。
長い滑走路はこのように回転翼機にも大いに便利で安全であるようだ。

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OH-1の整備

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力強く離陸するAH-1

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軽快に飛び回るOH-6D,小型観測機

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遠くに見えたUH-60JA

体験搭乗)本日の体験搭乗はCH-47J1で一昨年、九州で移動のため搭乗したものとは異なるタイプだった。電子装置が新しくなり、後部ドアの閉まり方も違うようだった。洋上飛行が殆どなので、このようなライフジャケットを着用する。さすがに冬装備には身体にしまった。

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チヌークの内部

なるほど、東京湾に出てみると木更津飛行場の重要性は良く認識できる。
日本の重要地帯にこの機材でも10分以内に行ける。東京、横浜、千葉と川崎の
コンビナート、横須賀、そして羽田、成田飛行場だ。それでこのヘリコプター団は大臣直轄の即応団になっている。

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東京湾内には入る、出る、待機する船舶でいっぱいであった。風が強い日であり、ガスト、タービュランスの類は頻繁に遭遇した。

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この機材には操縦士2名以外に2名の搭乗員がいる。リアドアとフロントドアだ。二人とも若いが、搭乗時間に加算されるのであろう。

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フロンドドアは女性隊員であった。

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エンジンは2基後方にあり、長いプロペラシャフトで前部に回転を伝えているがその仕組みが良く理解できぬ。
またこの機材には橇がついていた。あの御嶽山で火山灰の上に離陸、着陸していた板だ。チヌークは車輪なので、雪の上などに着陸すると潜る可能性がある。冬場は北の有事に備え、橇にしてあるのだ。この装着には6人がかりで半日の作業だそうだ。幅1m、長さ3mほどあり、当然、飛んでいるときには抵抗になろうが、良く出来たものだ。

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その他)
木更津駐屯地は戦時中帝国海軍の飛行場であった。格納庫の片隅に一式陸攻の
ほぼ完全なプロペラが保管されていた。九六式、一式陸攻は大戦末期、硫黄島との定期便に使われていた。撃墜王、坂井 三郎氏も最後の便で硫黄島から戻り、冬の木更津格納庫横の水道蛇口から直接水をガブ飲みしたと記述を残している。余談ながら以前、米国でリビー教授のGI奨学生(年齢は上だが)に聞いた話では、硫黄島で日本軍は飲料水にとても苦労した形跡があったとのことだ。

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今からでも遅くない。まだ遺骨の収集されてないのだから本土の水を飲ませてやれと感じた。

戦後は米軍に接収され、米軍基地となったが、日本再軍備にあたり日本に返換された。米軍時代の教会だ。現在は集会所に使われている。

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一昔前の要人輸送機を見た。現在はEC-225LPと言う機材が3機ある。
軍用機には通常、冷房はなく、防音もされてない。しかし滑走路がなくても離着陸のできる要人輸送のための機材が必要だ。
これは一昔前の機材である。まだインテリアもそのままだが粗末なものだった。

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喫食体験は体験搭乗後に隊員食堂で行われた。
当日のメニューは以下のとおり、チャンポン、半ご飯、餃子2個、おひたしであった。
完食した。

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木更津駐屯地の重要性)
東部方面隊降下部隊と組になり即応性をもち、首都圏の守り、特に羽田、成田の空港、さらに東京湾の通行、及び湾岸地帯の工業・産業を守る、重要な位置にある。従って、数多くの機材が装備され完全に整備されていると感じた。

駐屯地研修、事故なく、予定通り本年度の分は終了した。
(この項以上)