近藤 勇暗殺に使われた銃

最近は歴史ブームで、雑誌、テレビなど歴史もののオンパレードだが、コメディアンが歴史の背景を語ったり、時代誤認、あり得ない間違いの連続で何が真実やら不明の内容が多い。まさに日本史はNHKの「大河ドラマ」と司馬 遼太郎の小説が創作したものであり、本来の日本史は置き忘れられている。これも学校教育に於いて自国史を操った日教組など左翼の70年間の責任であろう。
(余談だが世界産業遺産に「19世紀日本の産業革命推薦」に朝鮮人が強制的に
鞭うたれ働かされ死亡したという韓国のいいがかりも、ほとんどの日本人は
反論出来ないだろう。産業革命は江戸期から脈々と続いた日本人の努力だったのに。)

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先日、BS日テレの歴史番組、これは見たこともないが、歌舞伎役者がキャスターと言うことで少しは真実を示す番組に近いかと感じた程度だった。「日本銃砲史学会」が引きうけていたので、本来この手のものには協力はしないが、ミニエ方式小銃の研究の一端になればと、このくそ暑い7月中旬にニッコー栃木射場に於いて、火縄銃とミニエ式小銃の撃ち分をした。
大体、近藤 勇とか坂本 龍馬など日本史においては重要な存在ではなく、江戸期から明治維新に移行する時代を、日本はもっともっと大きなうねりをうまく、また官民を挙げて、状況、現実をみるに的確に判断し交渉して、それで日本はアジアの国としては初めて欧米の支配を受けず、近代化に成功したので、近藤 勇の暗殺未遂などは大した史実ではない。ならずものの殺し合いの一端だ。

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彼が狙撃されたのは慶応三年(1867)12月16日、半月後には鳥羽伏見の戦闘が行われ幕府は大政奉還した。だから新撰組はかっての勢いではなく、その犯人は新撰組を脱退した高台寺派(数名しかいなかった)であると言われているが、私は薩摩、長州の先発隊であり、従って使われた兵器はミニエ式小銃である可能性は高いと思う。大体火縄銃は狙撃には向かない銃だ。
近藤は伏見奉行所を出て、馬上で田園の一本道を行きすがら、狙撃され、肩を負傷したと元文にはあるらしい。

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射撃実験スタッフは非常に熱心で手際よかったので、3時間ほどで終了した。
50mで火縄銃を標的に6発、ミニエ式銃は8発、発射した。
いずれも人像型には命中したが、番組スタッフはすでに仮設をもっているから
どういう取り上げ方になるかは不明だ。

しかし、狙撃に使うには火縄銃よりミニエ式小銃がはるかに優位性高いと言うことは理解でき、撮影されたものと思う。ただ、歴史ものとは言え、ディレクターをはじめスタッフの銃、射場に関する知識があまりにも希薄でかえってこちらが気をつかった。

あとはマネジャーのエム岡氏にまかせてあるが、内容もギャラも。