海上自衛隊呉潜水艦学校研修 「てつのくじら館」(平成27年10月)

海田市駐屯地訪問の次の日防衛懇話会の研修は「呉」まで足を伸ばした。
呉は帝国海軍鎮守府の時代には東洋一の軍港であった。
主に4つの場所を短い時間で研修した。呉には観るところが多すぎる。
私も3回目であるが、まだ観たい、もっと観ていていたい、と言う感じが残る
所は多い。
今回は観光地的なところよりも、潜水艦学校と実際使われている潜水艦への
乗船が主なる目的であった。

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2004年除籍「あきしお」

まずは海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」と「大和ミュージアム」へ
寄った。「てつのくじら館」は「大和ミュージアム」の3年後に開設した、
海上自衛隊の広報館だ。展示用潜水艦「あきしお」(ゆうしお型)の76mの
本体をうまく使っている。なかなかこれだけの展示館は世界にも少ない。
数名の自衛官と他はボランティア(OB)で運営されている。これが出来た時は
やったなと感じた。

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戦艦大和は日本人のこころ

「掃海の重要性」
機雷は強力な兵器であるが、相手を選ばない。民間の艦艇にも突然に稼働して
一瞬に轟沈させる。第二次大戦中、戦後も多くの犠牲を出させた。
今回は「掃海」にテーマを絞り、研修した。日本の近海には第二次大戦直前に
連合軍により約1万個の機雷が投下された。現在でも1000個が残存し毎年、幾つかが掃海されている。米国は機雷を投下されたことがないから「掃海」技術はない。
日本は戦後も続けて多くの機雷を艦船が通過する航路の直ぐ近く発見され掃海されている。
掃海は命がけで、とても危険な作業だ。朝鮮戦争、イラク戦争にも日本は機雷掃海に出動した。(だから憲法九条はその時点ですでに無効となっていた)だが、長年の経験は恐ろしい。掃海技術は世界一だ。
先日の安保法案国会討論で「掃海」の意味がどれだけ理解されていたか、少なくとも議員は我々と同じような研修を受け、勉強すべきであっただろう。

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様々な機雷、機雷の種類と性能の説明を受けた。機雷には音感式、磁気式、接触式、水圧式、振動式、などで爆発し、信管が敏感なのが特徴だ。浮流式、固定式の分類もある。その他各々の掃海の方法などを研修した。

「大和ミュージアム」はご存じのとおりだ。十分の一の精巧な大和の模型に、零戦六二型、その武装、特殊潜航挺「海龍」、九三式魚雷やその他の映像がみものだ。これも今回の研究のおまけでから略す。外には嵐山にあった戦艦「利根」の主砲とスクリューが展示されていた。

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戦艦「利根」の主砲

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この機銃は13.2㎜ではない。13.0㎜だ。

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国家がなぜこれを経営できないか? 不思議だが。
(この項以上)