3-2、八九式重擲弾筒

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八九式重擲弾筒は、十年式が手榴弾とその他信号弾などしか発射できなかったのに比べ、専用50㎜砲弾を発射する兵器として開発された。昭和4年(1929年)に制定された。終戦まで生産、使用された帝国日本陸軍の分隊兵器としては軽機関銃と並び有名なものだ。海軍陸戦隊も使用した。
十年式擲弾筒に対し重擲弾筒と呼ばれた。砲弾の威力は手榴弾の6倍ほどあり、敵機関銃陣地、家屋、車両に対して広く使われた。砲弾だけでなく、十年式が使用していた発射筒付きの九一式手榴弾も発射できた。
全長は608㎜、筒長248㎜、口径50㎜、重量4700g、ライフル8条。
生産は多くの民間会社が行い、総数約12万門が生産された。
機構は簡単で部品数も少ない。修理もこの小さなスパナ一つで済んだ。

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また一人で操作できる小型迫撃砲としての価値があった。砲弾は各4発入る帆布製の収容嚢を左右に付け8発。筒は背嚢の上に横に帆布製収容嚢に入れ、横にして運搬した。

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八八榴弾は打撃瞬発信管と底に銅製の帯になった発射薬部分があった。この銅帯が広がりライフルに噛んだ。

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砲弾の発射筒

機構は筒底横の点輪を回して撃針のついた丸棒を上下させることで、距離を
調整した。発射は筒を45度に固定、合わせた距離の目標に向けて、柄状の引き金を引いた。

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命中率に関しては計測義を使い専門の兵士が照準する米軍が1942年に制定した60㎜軽迫撃砲には敵わない。しかしこの擲弾筒は一人で運搬でき、砲弾も分隊では16発は一会戦用に運搬したとされているので、米軍の4名とさらに砲弾運搬要員の必要であった60㎜迫撃砲に比べると機動性が優れていた。

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砲弾終了嚢、両方とも右側、左は布も金具も粗末であり戦争末期のものだろう

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一個分隊では大体この倍の量の砲弾、手榴弾しか持参できなかっただろう。
手榴弾は40-120m、砲弾は120-600mが射程である。砲弾の下に白く帯が回されたものは徹甲弾と言われている。砲弾は打撃信管なので、柔らかい地面に命中した際には不発になる恐れがあった。その際は手榴弾(曳火信管)を使った。またこの手榴弾は当然手投げも可能だった。