海上自衛隊厚木基地研修(防衛懇話会)
平成29年5月20日実施
防衛懇話会 会員 須川 薫雄(しげお)
防衛懇話会の研修)
防衛懇話会は防衛企業が構成する自衛隊をより認識するための組織で会員はほとんどが
法人だ。会長今井 均氏、丸の内日本工業倶楽部に事務局がある。私は個人会員で市ヶ谷駐屯地の推薦を受け12年前に入会した。
観閲式、富士火器演習、音楽祭りなど自衛隊の主なるイベントのほかに年に数回、陸・海・空、在日米軍基地などの訪問が計画されている。
今回の厚木基地訪問もそのひとつであった。厚木基地は在日米軍との共同運航地だが、研修は自衛隊の部分だけだった。日米の管理地域面積は約半々。
主たる目的は日本の警戒監視活動に無くてはならない、哨戒機運用と新型機材P1機、
在来機P3Cであった。
今回はこの機材P3Cは任務中で見学せず。推定7-80機が運航中 日本の警戒監視、およびある程度の攻撃能力もある重要なる存在、
海上自衛隊の対応と会員の反応)
今回の参加者は普段の約倍の45名であったので、後に述べる各部門研修は3-4のグループに分けての実施であった。全員を基地内の各部署に案内、全体の説明をするのは広報課、各研修はそれを担当している現場の隊員であった。対応に漏れはなく、大人数の参加者を上手に午前9時半の最寄り駅よりの集合から午後4時過ぎの解散までそつなく実施した。
在日米軍との共同基地なので、写真撮影は一切できず、また参加者の企業からは実際、自衛隊と付き合いのある人たち、研究、生産などを担当している社員より、内勤(総務など)の人々が多く、果たして研修の意義が重複されたかは疑問。
(私は陸自東部方面隊で、舞鶴、佐世保、岩国、横須賀は研修している。)
当日はUSSロナルド・レーガン空母から艦載機F/A18が飛来したので、基地内は緊張感と騒音と緊張感にあふれていた。なお写真撮影はほとんどの場所で禁止であった。
F/A18はいずれ岩国に移転するそうだ。西に重きを置いていく体制は日米共に同じだ。
うるさいこと。しかし実際に観察すると尾翼がすべてエレベーター、知っていたが実際にペラペラと動くさまは・・・
司令挨拶と基地概要)
まずは司令より歓迎の言葉があり、広報課長より同基地の歴史、概要、管理、運用などが設営された。特に滑走路と管制機構は日本側の役目であることなど。
基地自体の位置は横田、座間など近隣の重要基地との関係は不明だが、全周11km余の
中型である。海自と関係要員が約2,000人勤務している。米軍は家族を含み5,000人ほど。この基地の統括では硫黄島、南鳥島が含まれる。
第四航空団31飛行隊が、24時間体制で警戒監視飛行を実施しているが、太平洋側には飛んでない。意外だった。
第61航空隊は輸送任務にあたり、硫黄島などへの補給活動を行っている。
同基地は本州の中心に位置している。
良く見ると制服は海自が帝国海軍のものを踏襲し一番、洗練されている。
階級は16あるそうだ。なかなか競争が激しく大変だろう。
広報館の見学)
厚木基地は日本帝国時代の海軍飛行基地であり、首都防衛に重要な役目を負ったがこの広報館にはあまり見るべきものはなかった。零戦に3本搭載されていた酸素ボンベ(一本が約直系15㎝、全長40㎝ほど)の酸素が注入されたまま発見されたそうだ。米軍管理地のゴルフ場を探せば、零戦1機くらいは出てきそうだが。
海上自衛隊基地は資料館、広報館の充実度が佐世保を除き全般的に低い。
管制施設の見学)
どこに行っても管制は実際に行っているのを見学するので、こっちも気をつかう。
小グループにわけて、離陸、着陸、地上の動きを指令するアプロ―チコントロールとファイナルレーダー施設(エリア)の各々の施設を見学するが、内容は極秘なので省略。
この基地には海自の管制官の養成所があり、多くの学生が日夜、研修している。
昼食をとる。この日は金曜日なのでカレー。これにミルクがつく。
昼飯
P1川崎シュミレーター体験)
本体と設置に40億円の費用が掛かったそうだが、シュミレターほど航空機訓練の効率を上げたものはない。6本の太い脚、ジグザグに入っている箱型の機体が稼働するものと、
簡略型の2種がある。簡略型を体験させてもらう。
女性教官同乗のもと、厚木の滑走路を離陸し270度右旋回、高度は2000フィートほどで、海岸に向かう。
江の島と大島を臨む。スロットルはそのままでも速度、あまりにも遅いので、旋回の最中から少し操縦棹をおすと当然高度は下がる、高度を上げるためには操縦棹を引くと4000フィートまで数分。速度が遅いのだ。どうしてこのようにゆっくり飛べるのかが大きな疑問だった。
まずで双発プロペラ機を操縦している感じと考えて良い。映像は鮮明で、現実感がある。
海岸に達し、180度旋回をして厚木に戻る途中で時間がきたが、これを操作したのは
私だけだった。申し訳ないが他に希望者はいなかった。
現在、恐らく数十名もいないP1操縦士を数百名に増員するためには必要不可欠な装備品であることに間違いない。
地上救難隊の水を飛ばす)
この隊ほど、我々の見学に力を入れてくれたところは今まで初めてだ。隊員が重い防火服を
素早く地上から持ち上げ炎天下着用する。見学者をひとりひとり、長さ12mの大型消防車に載せ、ホースノズルを操作させる。相当に燃える機体に近づかなければならない。
化学消火剤は水にその場に応じて混ぜるそうだ。
救難ヘリ整備を見る)
第4航空団の救難ヘリSH-60Kの整備を見る。エンジン、ローター、後部など主要部品が外してあったので、機材の構造は理解できた。重厚な機体だ。
このヘリは舞鶴でタッチアンドゴー訓練を見たが、機体が大きく、双発なのでブラックホークなみの迫力があったことを覚えている。担当者は親切にも右も左も分からぬ我が一行に
丁寧に説明してくれた。
さて肝心のP1機は)
機長から機体性能に関しての説明を聞いてから、機体外部、機体内部(これは価値があった)
その他一時間半以上をかけて見学した。
すでに10機程度が川崎重工業で製造され運用されている純国産機だ。またその性能は公開されてない部分が多い。機長に質問した、「このような機体が低速で低空を飛行できる鍵は?」むにゃむにゃと説明はなかった。巡行速度も発表されてない。
だが、機体の内外を観察するに幾つかの他の機材との差を操縦者である筆者は気が付いた。
機体はP3Cと比較すると全ておよそ1.3倍の大きさ、性能である。例えば後続距離は8000kmとこの種の機体では驚異的と言ってよいだろう。さまざまな新しい工夫がみられる。
石川島播磨の開発の中型ターボファンエンジンも一つの鍵ではないか。
諸元、全長38m、スパン35.4mと観たところはフツーの機材だが、「低速で飛べる、失速しない」などが高度な技術であると思う。(シュミレーター操縦でも感じたが、操縦系統には光ファイバーを使い、ケーブルで物理的に動かすのではないので、力はいらない。
あらかじめインプットしたソフトが大いに助けてくれる。
大きなヘッドアップでスプレーがさらに操縦を贅沢にしている。シートの移動などは
下手な民間機より効率的。
乗員はP3Cと同じ操縦士2名、オペレーター11名で変わらない。
ソノブイは数十を3通りの落とし方、他ミサイル、爆雷等の攻撃力の取り扱いを実際行ってくれた。電子レンジで飯が食えると乗員は感激していたが、やはり軍用機はこういう環境整備は遅い。
遅く飛べる理由、これは聞いてはいけないことだった。P3Cの翼はほぼ横に出ているが、
P1は少し後退している。またフラップ、スロットなどの翼の能力を上げる仕組みも頑丈に
役に立つ造りだがステルス機のように目立つものではない。
これらとエンジンの組み合わせで揚力を上げているのではないか、と言うのが私の推察だが。
遅く飛べる理由はそんなところであろうが、日本の航空工学の知恵が結集されている。
潜水艦が相手の機材にはとても重要な要素だ。相手は海中で停止できるから。
将来、およそ100機程度が製造され、P3Cに交代する。
こんな機体も見たいと言ったら怒られた)
ふと横を見たら、これが置いてあった。「あれも見たいなー」と言ったら、案内の担当者に「岩国の所属だ」、と怒られた。
記事に使用の写真は海自のカタログより
(以上)