小林 芳春著 「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く
小和田 哲夫・宇田川 武久監修
黎明書房
外国の古戦場を歩くと、隣接する博物館売店で発掘された弾丸を販売している。米国南北戦争古戦場ではミニエ弾丸が1発500円ほどだった。形の崩れてない、線条がはっきりしているものを幾つか求めたことがある。日本前装銃協会の会員であったA氏は、40年ほど前、家族と会津若松城に観光し、城から攻めての方角と射程を計算し、一日で10数発の様々な弾丸を発掘してきた。現在、城周囲は開発が進みそういうことは無理だろう。
小林 芳春氏は日本銃砲史学会会員であり、長篠・設楽原古戦場の大地主の一人であり、自分の土地で見つけた当時の弾丸のことを何回か史学会例会で発表したことがあった。残念ながら発掘された弾丸の数は多くはなかったと記憶している。
小和田 哲男氏は早稲田大学文学部博士課程修了、現静岡大学名誉教授の歴史学者である。
宇田川 武久氏は国立民族博物館名誉教授、博士、歴史学者、日本銃砲史学会理事長であり、数多くの鉄炮伝来、鉄炮に関する著作がある。
3年ほど前、史学会の例会、見学会で長篠・設楽原に30名ほどの会員が訪れ、資料館で様々な弾丸を見学した。
この本に設楽原出土17発、長篠城址出土30発の仔細な写真が掲載されている。設楽原の出土は、見学に来て説明を終えたばかりの子供が外に出て、すぐに発見したものであるというストリーがあった。
この本の注目すべき記載は発見された弾丸の材料研究から、弾丸の材料の鉛は中国、タイなどアジアのものであったとの事実だ。
現在の弾丸は鉛のみでなく、その周りを披甲してある。狩猟などで威力を増すためには先端だけ鉛をだす。
長篠・設楽原の戦闘の歴史的背景と重要性はいまさら語るまでもないが、本では仔細に期されており、小和田、宇田川両博士の歴史研究のコラムも興味深い題材が多く包含されている。
筆者の射撃経験では銃は弾丸が目標に命中しなければ効果はない。
これは今も昔も同じである。長篠の戦場を観察するに馬防柵から今も当時も田圃であった武田軍が多く倒れた地帯までの距離は短い。
恐らく多くの弾丸は目標に命中し、壊れてしまったのであろう。
長距離の打ち合いでは目標に命中しなかった弾丸の多くはエネルギーを失いながらも柔らかい土中に入り、形状を保っていたのではないか。これが計算によれば3万発以上も発射された弾丸の残存率が少ない原因と考えるが。
この書籍は専門家の編集による多くの情報を含んだ、読みやすい優れた著述である。
以上(須川 薫雄記)