女性鉄砲隊と演武
戦国時、女性は戦力だったか?
従来の刀、槍、弓などの武器を使う戦闘では疑問だったが、鉄砲の出現後、女性は物理的に立派な戦力になった。
古武道は力がいる、修行で時間がかかる。女性は武芸の他にもやる任務が多い。
まず鉄砲射撃は男女の優位性がほとんど無いのではないか。
現代銃射撃競技でも女性の記録保持者は多い。射撃、必要な能力は良い目、集中力、判断力などだ。
鉄砲が出現し、大規模に戦場で使われ始められた16世紀後半、刀槍弓の
戦闘に向いなかった兵は鉄砲で活躍の場を得た。女性も同じだったと考える。
以前、私が火縄銃射撃を教授した方
実際画面で見ると違う人だが、
柳川藩の例
文禄・慶長の役(16世紀後半)期、九州諸藩では武家だけでなく全人口が人出不足になった。
それに加え「元寇の記憶」、果たして朝鮮半島に軍勢が渡っても敗北して、
押し返されるのではないか、との不安があった。
それで立花藩では武家の妻娘を鉄砲隊に編成した。それが各藩に広がり
安土桃山時代後半では各地に女子の鉄砲隊が存在した。(洞富雄・名和弓彦先生小川氏談)小倉藩の陽流は女性を意識した流派で 一鬼作の短い鉄砲を使かっていた。小川夫人の演武は陽流演武を行い、火縄銃界で有名。
現在は、尾上城 由江さんが陽流 福岡の宗主
しかし女性の鉄砲隊編成は、1640年以降の戦闘のなかった江戸期には行われなかったと考えられる。
幕末の女性鉄砲隊は・・
幕末、戊辰戦争の頃は戦国期と同じく、戦力は領内、領外ともに外にでる兵が
多くなり、城を守るためには女子や年少者に射撃の訓練をした。
会津藩の八重の例にあるように、幕末、士族は自分にあう銃器を自費で購入した。
八重もスペンサー騎兵銃を購入したと。
幕末期、女性鉄砲隊編成の記録、これは新しい課題となろう。
幕末、東北各藩では多くの士が北方の守りのため、北海道に渡った。
さらに戊辰戦争時には会津の例にあるような女性の鉄砲隊を東北各藩が組織した例はあったのではないか。(資料があれば教えて欲しい新しい課題だ。)
全国で引っ張りだこの「女鉄砲隊」の例
これからの観光資源になるそうだ。
吉備女鉄砲隊 岡山
大洲藩女鉄砲隊
女性が使った鉄砲は・・・・
一般的な火縄銃は全長130㎝、銃身長100㎝、くらいだ。
前装銃の全長は身長150㎝くらいを想定した長さと言う。銃身が長いほど
命中率は高い。それより短い銃は一括りに「馬上筒」と言われて来たが、
馬上筒の定義からすると、どの程度か?というのは難しい。
騎乗で装填、発射できる、とするなら長すぎる銃も多い。短すぎるものもある。
また短い、片手で操作できる銃を「短筒」と言うがこの定義は比較的簡単だ。
(技では両手で保持してはいけない銃)
また、一般的火縄銃よりより短くて、口径があまり大きくない鉄砲に注意する。 短いが、両手でないと発射できない鉄砲は女性用にも転用できた。もとよりそれが女性用、であった可能性は高い。
形がやさしい。銃口、巣口が膨らんでいる。デザインにも注意。
カラクリはある程度、機構が高級で調整できて、安定したものが良い。
陽流の一鬼銘の全長が120㎝の銃は女性用に作られたと言われて来た。
青森の全長121cm、銃身長87.6cmの銃は何か?
参勤交代に長い銃を持つのが不便と段々に短くなったという説もあるが。
馬上筒の実態、実際に乗馬した操作、発射しなければ判明しないことは多い。
この実験は新しい課題であることに間違いない。
年少者用鉄砲の例
この銃は短筒と言う触れ込みだったが、どうしても片手では撃てない。
両手では小さすぎる。
小2の孫に構えさせたら、年少者用の鉄砲だった。
口径が小さい火縄銃一匁以下は大体が年少者用であったと推定できる。
記録によれば、室内で練習させたと。
女性鉄砲隊の衣装
元は安土桃山時代なのでそのファッションは時代を表したものだろう。
一言で言えば華やかなもの。腕と手の甲は覆った方が良いのでは。
そして有名な仙台藩丸森鉄砲隊
胸当ては必需品だ。
女性と火縄銃、お城、これほど似合う取り合わせはない。このテーマ
これからはアニメやアイドルに発展しても不思議はないのではないか。