陸上自衛隊対馬駐屯地・警備隊研修

目的)

対馬と壱岐の島は朝鮮半島と日本国本土の間に位置し、古来、半島との往来に中継地として重要な役目を果たした。また日露戦争における日本海海戦は欧米では「ツシマ」と呼称されその戦略的な重要性は研究家の間で認識されている。
しかし、日本国において10番目の面積を持つ、かくも重要な位置を占めておりながら、本土の人々は観光・業務においても実際に訪れる機会は少ない。
有史以来の出来事、現状、そして有事の際の在り方これらを、日本の外交史、安全保障史を研究する自分が自ら目にして考える良い機会があり、防衛懇話会の第四師団、航空自衛隊春日基地研修の後、夕方の便で飛んだ。
久しぶりにプロペラのボンバルディ機だった。
お出迎えをいただきホテルに送っていただいた。空港、宿泊したホテル、駐屯地は各々15分くらいの山道を走る。
お出迎えいただいた警備隊のエス氏の先祖は江戸期、農作物への害獣、猪を島で絶滅したことで知られている。鉄砲鍛冶に鉄砲を造らせ、農民を使った。
なるほど、本で読んだが聞いてみて迫力があると感じた。私も先週、2頭仕留めましたと言う話を車中した。

1、 対馬の地形と現況

3週間ほど前、島民が家族ごと殺害され、家に放火された事件は解決してない。
島民はかっては6万人強であったが、現在は過疎化が進みその半分くらい。
地形はフランスバンの真ん中左を誰かがかじりとったような南北に延びる形。
標高650m島全体は台湾のように絶壁で、港は真ん中の部分と北側にあるものがかってより活動していた。
平地は少なく、農業はシイタケや果実を作る。漁業は盛んだ。観光は日本からより韓国から来る人間が多い。山も富洋なものではない。理由は分からないが観察するに土が少なく広葉落葉樹林が多いが木々の間隔は広く大きな樹木は少ない。従って林業は収入にならない山が大部分で北から南まで波のように広がっている。これは行って自分の目で観察しなければわからない。
対馬山猫など貴種な動物植物が多い。


島は一部を除き大体このような地形だ

2、 日本で2番目に小さいと言う駐屯地を訪問した。

翌朝は早く出た。お出迎えをいただき、司令にご挨拶。その後、土曜日にもかかわらず30名近くの幹部にお集まりいただき、私の講義を聴いていただいた。
題目は「近世から近代にかけての日本の海防」で、内容は19世紀、産業革命が進み兵器の発達した列強の日本への圧力、日本の外交、明治維新、その後75年間の軍の構成をパワーポイントの20ページの資料で話した。

隊員の皆さんと小松氏

終了後、直ぐ、今回の訪問の相手先となっていただいたT三佐のご案内、それに対馬防衛協会の小松氏が参加していただき、対馬が元寇以来たどった歴史の現場を見学、研修した。
氏より資料をいただき、歴史、過去のできごとを直接聞けた。

日本で2番目に小規模は駐屯地

3、 対馬の歴史的宿命

有史来、日本が半島との通商が始まったころから対馬はその中間点として地理的存在を活かした。
13世紀、「元寇」があり多くの島民が犠牲なった。
16世紀、豊臣氏の朝鮮半島への侵攻の中間基地となって、日本全国多くの藩の武士が通過した。
17世紀以降、徳川氏と朝鮮李朝の交流があった。
19世紀、日清、日露戦争の中間点となり、島の真ん中、現在の空港近くが掘削され島を回ることなく、艦艇が通過できるようになった。

赤い橋の下が運河

20世紀半ば、第二次大戦中は日本海に封鎖し敵艦が入らぬよう、北端に大砲台(使われなくなった戦艦の主砲を持ち上げたもの)と爆雷砲台が装備されていた。
その武装解除に来た米軍部隊にフランク・シナトラがいたそうだ。

戦艦主砲の台座あと

砲台の内部

岩に描かれた迷彩

小松氏のご説明でこの砲台の戦時中の様子が明確に理解できた。

4、 江戸期の対馬

宗氏が藩主となり主に交易による収入から碌を得ていた。朝鮮から江戸期「朝鮮通信使」と言う一行が宗氏の調整で何回か当来し、対馬は通過点となった。また宗氏は徳川幕府の朝鮮との外交と交易を役目として半島に居留地を得ていた。幕末、日本の海防のため大砲を持ち込もうとして、断られた。

5、 現代の対馬防衛

地政学的にはふたつの任務になろう。
一つは地理的に大陸、半島、沿海部の警戒監視活動で、陸、海、空の自衛隊がそれぞれ連携しながら警戒監視活動の施設をもっているが、多くは秘匿されているようだ。
総員、陸が400名弱、総数700名くらいだ。陸は駐屯地と警備に分けている
日本と韓国の間には軍事協定は結ばれてない。対馬に大きな兵力を置くことは韓国を刺激することになる。しかしながら半島有事が発生すると、日米の双方の防衛線になることは予想できよう。そうでなくても北の核、ミサイル問題の最前線となる位置だ。

 

6、 これからの日本に安全保障での役割

一番恐れることは誰も口には出さないが、「半島有事」であろう。対馬はその混乱の影響はもろに受けよう。
米軍との統合作戦にも対馬は重要な役目を負うだろう。現在では制空、制海はすでに作戦中の艦艇と本土基地から数分でスクランブルが行える。島の部隊にも多目的誘導弾の装備があろうし、状況によっては増強できる。
現在の紛争で困るのは「難民問題」だ。韓国からは30km、泳いでは無理だが小型船で十分だ。それに北からもどんな形にしても武装した難民の来島が予測できる。しかし島の地形を見るにそれらの人間全部の収容は無理だ。
海峡の真ん中に位置するしまの宿命は今も昔も変わらないだろう。
大きな政治的課題と言える。

 

おわりに)

対馬陸上自衛隊駐屯地の司令をはじめ、T三佐、広報、その他車の運転をしていた皆さんに感謝する。
「現地現物主義」と言う言葉があるが自分の目で見る、話しを聞く、触ることでさまざまな課題とその解決法が見えてくることがある。
(この項以上)

航空自衛隊春日基地研修

防衛懇話会は陸上自衛隊第四師団で訓練の様子を半日見学したあと夕、懇親会を行った。
そこに航空自衛隊春日基地司令も参加された。
翌日は一日を掛けて、春日基地で研修を行った。春日基地は福岡空港の民航の反対側に位置して航空管制は国交省のものだ。
まずは司令にご挨拶と全員の記念写真撮影。

司令とは私の飛行実績を話した。
その後、基地の概要説明、陸上自衛隊第四師団司令部駐屯地も航空自衛隊春日基地も元は帝国陸軍小倉工廠の施設のあったとこだった。
両施設は隣接しているのだが、直接は通行できず、空港をぐるりと270度回る。
また福岡市にちかく有事には統合した運用は効率的であると感じたが。

1、 警戒網
地政学的にみても九州北部は重要な日本全土の警戒網を担っている。各種レーダー、外部の
警戒施設との連携などの説明を受けた。

2、 T-4機
操縦士教官の説明があり、各々操縦席に座り計器やレバーその他操縦装置の説明を個人的に受けた。良かったのは航空救難の説明だった。

3、 CH-47
オスプレイ機にいずれ装備は変わるだろうが、この機材の今までの活躍は素晴らしいものがあった。私は昨年の火山爆発の際、車輪に橇を装着し高い高度まで多くの人員物資を輸送したことだ。
操縦席は広い。しかし下の視界は小型機と異なり効かない。熟練した技が必要だろう。

昼食をご馳走になった。

一番感激したのは研修の途中で木管楽器と金管楽器の各々のカルテットによる我々のためのコンサートを準備しておいてくれたことだ。演奏のうまさは言うまでもなく季節柄、クリスマスのデコレーションまでして和ませてくれた。

冬の夕暮れは早い。
防衛懇話会の一行は空港で解散し、私は一人で対馬へ向かった。


(この項以上)

陸上自衛隊第四師団研修

今回は防衛懇話会の研修で北部九州を守る福岡の第四師団を訪問した。
防衛懇話会は工業倶楽部にある防衛産業の団体であるが、HPもなく
世間一般には知られてない。会員は法人と個人。法人は防衛産業であるが個人の
資格はよくわからない。年に数回の防衛座談会と施設や駐屯地の研修、観閲式、
火器演習、音楽祭などイベントに参加する。
日本の安全保障を語る論文を数多く掲載する紙も発行している。これが電子化できたら良いのだが。
今回の研修、12月15日、時期的に参加者はいつもの30名規模から20名くらいになって、在会年数の関係か私が団長を申し付けられた。
昼前に到着した空港には幕僚長に出迎えていただき、私、団長、事務局長、防衛省担当がまず師団長にご挨拶に伺った。

 

師団長と挨拶で雑談するのも団長の役目で、その前の週に行った狩猟、射撃の
話をした。
それから昼食、

午後続いた研修は恐らく数百人の隊員を動員しての力の入ったもので、
特に、第四師団の国際医療援助活動の実働のありさま、核・化学・生物兵器
対策の様子、架橋、新機材展示など充実したものとなった。
1、 海外医療援助の準備訓練
2、 核・化・生物兵器対応訓練
3、 海外医療診療訓練
4、 架橋訓練
5、 新機材展示と体験搭乗
恐らくこれだけの徹底した大人数を動員する訓練の研修は初めての経験だと言う会員が多かった。

1、 海外医療援助の準備訓練

体育館に300品目1万点の資材を仕分け、重さのバランスを考え効率よくもれはないか点検しながら搭載する訓練。資材はすべて実物で記録と合わせながらチームで行う。

2、核・化学・生物兵器対応訓練

乗員輸送車に科学弾で攻撃された、という状況を想定して、車内の乗員の救助、車体の洗浄、
一連の流れを約30名の隊員が役目を決めて行う。全員が防疫装具を着用し、最後は隊員を
救急車が搬送すると言うもので、隊員相互の洗浄、車体の洗浄、汚染された防疫装具の始末、
少し距離をおいて救急車に搬送など、細かい部分を観察した。このような攻撃への対応の
鍵は作業の手順、スピードであると感じた。

3、海外医療診断訓練

災害などで医療救助を求めている某国に医療隊が1、で準備された装具を持ち派遣されたという想定。指揮所、受付、問診、外科、内科、治療、レントゲンなどの実際に使用する
機材を複雑に構成された天幕で行う。掲示は現地語であり、現地語の通訳役がいた。
まずは本部には10名以上の隊員が現状把握と指示、恐らく様々な通信器具が使われたのであろう。
町の診療所並みの使節と言っていたが、300種類もの装備を持ち込み行うのだから、並みたいていでない援助だ。また隊員は現地の防疫にも対処しなければならない。

4、架橋訓練

先の災害で(現地でも熊本地震)、仮設橋の架橋は重要な作業である。橋には柱なく、約60mの長さ、小型車がすれ違える幅を持った橋を速やかに掛ける。この作業はエンジニアリング(土木)隊の中でも極めて重要なもので、架橋の機材は運搬のため、分けて、しかも
折りたたんである。橋は強度を考え、柱がないので、太鼓型になろう。大きなクレーンが運搬車から釣り上げた、畳んだ機材を降ろす間に開いて、ガチャンとつないでいく作業は実際には高度な技術を要するだろう。長い間、冷たい鉄橋の上で待機してくれた隊員に感謝。

5、新機材(装備品)展示と体験搭乗

最近、数量装備された島しょう部攻撃に反撃する水陸両用車AAV7 および10式戦車など数両が展示され、詳しく説明された。戦車搭乗は74式で、そう広くない駐屯地の狭い道路を3回直角に曲がるコースだった。

防衛懇話会としても今回の一連の訓練視察にはもう少し大勢の会員に参加してもらいたかったであろうが、年末の繁忙期になった。
訓練を実施してくれた第四師団、師団長ならびに隊員諸君の日ごろの努力を実感した。
(この項以上)

狩猟の獲物処理のはなし

いつも米国風の狩猟をしている。重要なのはガイドだ。幸いとなりのタケちゃんにガイドを頼み、僕の軽四輪であらかじめ走る場所の所有者の許可を得ておく。猪が彼らの地所に出てくるのを狙撃するのだ。
犬も銃を持つ仲間もいない。
山の反対側で昼早く雉や山鳥を探して撃つ、僕の散弾銃は重い、飾りがついているので、とても山に持って出るものではないが、これしかない。スキート用の銃身にチョークを使い、上下機能を合わせてある。
このガイドはタケちゃんだ。30年間来の付き合い。喧嘩もするが、土地勘は一番で、運転も上手だ。5日間狩猟したが、犬もいないのに雉を幾つか撃った。
タケちゃんが見つけてくるので。欲を言えば、もうワンテンポ待って欲しいが、
場所が分からなくなるのだろう。と言うのはワンテンポでもう一、二羽飛び出すことがあるからだ。
そのあたりで騒ぐと猪が出る場所が勘で分かるそうだ。今度はそっち側に回る。
5日間で11頭見た。
しかし全部に発砲できるわけでない。道路をまたいでいたり、人間の姿を見たり、
弾丸の飛んでいく方向(命中してもまだ先に行く)、それを総合的に考えて射撃できるものだけを撃つ。大体、伏せて撃った。狙撃だ。
猪は暗くなると出てくる。狩猟は日の出から日没までなので、日没との闘いだ。
毎日、調べるが4時20分ころだった。
でも山の影はもっと早く暗くなる。天気は良すぎた。雲が多いと早く出る。
山からとんとんと田畑だったところに降りて来る。全身が見える。大きいのから中型まで。子供はいなかった。
ライフルはスコープを4倍にして使う。スコープは的が大きく見えるだけでなく明るい。
そんなかんやで、2頭を仕留めた。1頭は80kgくらいの大型で、一旦倒れて
立ち上がり、渓流を越えたこところで息絶えた。これは地元に進呈。僕たち二人では出せない。距離は80mくらい、Ⅰ頭は100mくらいの距離だが外した。
もう1頭は大胆にも仲間3頭と、道路の近くの田圃にいた。道路からは撃てない。
田圃を行き過ぎて、車を降りて、道路外の草山に伏せて中型のものを撃った。この時もう1頭撃てたが、タケちゃんに当たると危ないのでやめた。後ろは崖だったので安心。
広いあぜ道の近くだったので、四輪軽をタケちゃんが上手に入れる。
後部を片付けて、ブルーシートを広げ、そこに二人で両足をもち上げて入れるが重い。
後で測った、全長135cm、体重60kg弱だった。これで中型だ。
もう暗い。もう一度ふたつの銃の装填を調べて車に乗った。
まず、僕の家の渓流に行った。そこでタケちゃんが内蔵を抜く。今夜はそれまでだ。深いところに本体は沈めた。内臓は渓流の横の岩に置いたが。
翌朝、何も残ってなかった。カラスではない。暗くなりおいて、朝は比較的早く見たからだ。
あれだけのものを食べてしまう何かがその近くにいるはずだ。
内蔵抜きは30分間くらい。水をバケツでくんで空になった腹を洗い、血を流す。
太い腸、胃、肺、肝臓、などが体から出されたが、幸い弾丸は内蔵を避けた。
暗いので車のライトを使った。この作業はいろいろ手伝えた。
翌朝、それかの作業は僕には出番がない。これでは本格的ハンターではないが。
内蔵を抜き、水から上げた状態。

タケちゃん夫婦が手際よく行い、約一時間で終了した。
下にプレートを敷いた。

なかなか美顔の猪、牝。
頭と足先を鉈で落とす。大型カッターで毛皮を剥がす。四肢を離す、胴体を解体するという手順だ。脂身でまずは白い。

 

 

頭、脚先、毛皮はその獲物を得た場所により補助金が出る。肉の塊ももって行った。それで放射能を測定するが、基準以下になっていた。
一晩、冷たい流れ水で汚れと血は抜けていた。
弾丸が入ったところは穴だが、出たところは大きい。背中から尻に抜けた。

この部分は食べることはできないので捨てる。

タケちゃん夫婦は手慣れたもので、なんでもできる。

平成28年度自衛隊音楽祭(まつり)に行った

平成28年11月13日

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日本の西洋音楽は明治の軍楽隊から始まったと言われている。
米国のジャズが南北戦争後、負け南軍の楽器の払い下げからスタートした話を思い出す。時代的にもそう変わらない1870年ごろだ。
自衛隊、陸・海・空の部隊、駐屯地には軍楽隊があり、その一番大規模なものが中央音楽隊だ。バブル崩壊後、幾つかの交響楽団がなくなり、音楽学校卒業した音楽家が自衛隊に入隊し、音楽隊で活躍するようになった。
自衛隊音楽隊は水準が高い。

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年に一度、秋に「音楽祭り」と称し、武道館で5回くらいの公演を行う。
チケットは無料だが、応募抽選でなかなか当たるものではない。
全部の公演が満席であり、公演そのものは2時間以内で終了する。
下の画像、防衛大学校のドリルは見ものである。

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海上自衛隊は「軍艦マーチ」をかならず演奏するが年々柔らかなアレンジになる。

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本年は第50回を迎え、「音の力」強き、守りの響きと言う題で構成された。
毎年、駐日米軍の楽隊と外国の軍楽隊が招かれるのと、最後は全国100ちかい和太鼓の団体から18-9の代表が選ばれて、その力強い響きを披露するのが特徴だ。和太鼓はチームワークを示す。これだけの規模のものはなかなか見られるものではない。

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本年は11月11日から13日にかけて5回プラス1回の公演を実施した。
米軍は「海兵隊第3機動展開部隊音楽隊」と「在日陸軍軍楽隊」、それにインド首相の在日に合わせて「インド陸軍軍楽隊」が参加した。
毎年、テーマがあり今年は日本の季節の流れを三軍の軍楽隊がつないだ。

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赤い制服がインド陸軍軍楽隊でインドの軍楽曲を聞かせて呉れた。
手前、米海兵隊軍楽隊はバンジョーで沖縄の島唄を上手に演奏した。
このイベントは放送しない、広報もしないで、知る人と知るものになってしまったが、演出、演奏、運営、国際親善、広く、大きな感動があるものだ。
(この項以上)

激動の観閲式と緊張感

平成28年11月9日

去る10月23日日曜は安倍総理、稲田防衛大臣への自衛隊観閲式であった。
今年の場所は朝霞、参加自衛隊員数千、見学者数万人、自動車数百両、航空機50機の規模であった。本年は米軍の一部参加があった。
天気は晴朗で風も雲もほとんどなかった。

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安倍総理の挨拶で例年と異なったのは、日本をめぐる緊張に関して内容だった。
例年は「昨今の、とか最近の」と言う表現であったが今回は「この一年間」と
し、我が国を取り巻く、国際的緊張感を改めて強く表現した。

image002空挺隊

私たち東部方面隊モニターは観閲台の右隣であり、全体の進行はもとより、細かいところも良く観察できた。例年の緊張感が強いなが共通した認識であった。
幾つかの今年の観閲式の特徴をあげてみよう。
1、 いつもになく整然と分かりやすい立派な行進であった。

image003大軍楽隊の演奏

2、 首相近辺、会場の警護が厳しかった。

image004首相の部隊観閲

3、 首相の演説にめりはりと緊張感があった。

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4、 好天に恵まれ航空機の上空飛行、空挺降下、ブルーインパルス演武、
(式典終了後)などが映えた。

image006防衛大学校部隊

5、 米軍機材、米軍機(オスプレーなど)が参加し日米同盟の深化を示した。

image007SPの警護

あれだけの規模のイベントだ、事故なく質の高いものになった。式典自体に参加した隊員、またサポートした隊員、全国から陸‣海・空と数千人と警察などの関係者が見事に任務を遂行した。
しかしながら、イベントがこのように緊張感をもって行えたのは、この一年間の
中国の海洋進出、北朝鮮の核とミサイル、これら多くの危機が現実としてあるからであろう。

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婦人部隊(全国に数千の女性自衛官がいる)
日本は気が抜けない。日本人全員が緊張感をもって国際状況を直視する必要がある。

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首相、大臣、各国高官への挨拶

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(この項以上)

JAXAの将来性

先月、東京アメリカンクラブの家族ツアーで筑波のJAXAの公開日旅行に
行った。自分の車で行った方が気楽だが、JAXAが米国人家族一行に特別な配慮をしてくれたからだ。大型バス2台約100人が参加した。残念ながら日本人は世話役の会員以外、あまりいなかった。天気は秋晴れの素晴らしい一日だった。
驚いたのは出迎えて呉れたのは、宇宙飛行士若田 光一さんだった。

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JAXA宇宙航空研究開発機構は、地球観測、天文観測の国際協力を行う
機関で現在1500名ほどの規模で年間予算は1500億円くらいだそうだ。
二つの政府機関が合併し、人員は1800名ほどから縮小された。
しかしその活動は年々活発になりすでに15回に日本人宇宙飛行士の宇宙飛行を
実施し、NASAと緊密な関係にある。
出迎えてくらた若田さん、

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一応中に入り、和田さんを囲む会が行われたが、米国人家族は子供が彼に初歩的な質問、例えば「宇宙からみた地球の様子はどんなの?」みたいなものばかりだった。馬鹿馬鹿しい。

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私は彼が6カ月間、宇宙ステーションに滞在したときに感じたことだが、彼の
言葉(この日も会話は全部英語だったが)の能力に関して質問したかった。
私は米国に合計12年間いたが、日本から来た日本人(たとえ配偶者が米国人でも)彼ほど、英語が上手な人間はみたことがなかった。
だからなぜ「そんなに英語をしゃべるだよー」と聞きたかったのだ。
それで、子供の間に割り込んで聞いた。
彼は一瞬答えを考えてなかったようだが、高校生のころから英語に関心があり
ラジオやそのほか聞く勉強を良くしたと言っていた。「聞く」相手の言うことが分かるから入るのはとても重要なので納得した。
日本の英語教育への教訓だ。

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それから家族連れなどはあちこちの展示を見て回った。
H3ロケットのモックアップがあった。H2ロケットと同じだが、ブースターなしから4本まで様々な荷重を調整できるものだ。

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モックアップをみると巨大なもので、これは一度打ち上げを見に行く機会が欲しいと感じた。

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和田さんにはもうひとつ質問をした。会員の白い目で見られながら、奴らは内容を理解してないから。
ソユーズにおける行き来に関して。彼は3回か4回、飛んでいるので、スペースシャトルにも乗っている。
乗りここちと、着陸の際の爆薬のことを質問したのだ。
「そりゃスペースシャトルは航空機と同じで比べものにはなりませんが、爆薬の反動はたいしたことはない(正直な人なので顔に書いてあったが)との返事だった。ソユーズはアポロ計画、米国海軍が全世界を制覇していたころ、帰還したものをパラシュートで海面に落とし、近くに待機していた空母から救難ヘリが飛んで回収したのを地面でやるのだから、すごいと素人でも考えるが、米国人会員はあまり関心がないのだ。あれはソ連の時代、戦車を空中投下するために開発された技術で、
戦車の場合、4個のパラシュートで落とし、最後の最後、地表近くにおいて爆薬で着地させるという乱暴な方式だったからだ。
事実若田さんやその他の飛行士は、結構狭い機内と重なり大変で、命がけの着陸になるはずだ。

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さまざまなJAXAへの協力会社の展示もあったが、焦点は「環境」だった。
太陽光や風、さまざまな自然エネルギーを研究している研究所がこのイベントに参加していた。また子供に宇宙の科学を教えるコーナーや、今度打ち上げる人工衛星なども展示してあった。とてつもなく大きなものだ。

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日本は糸川博士がロケットを研究していた時代、上空に飛ばすことは禁じられていた。それで水平に走らせたのだ。またエネルギーに水を使い相当大きなものを飛ばすことも野原でやっていた。
その原点から考えると米国とロシアが協力しているのは宇宙ステーションくらいで、政治的にも意義がある。

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そして、最後に若田さんは飛行士が宇宙で浴びる「ラジウム言う表現を使ったが、放射能、これは経験学的にしか分からない、このへんの研究はまだ始まったばかりだと。
それと日本はH2ロケットで「こうのとり」と言う貨物運搬機を飛ばしているが、
いずれ自前のロケットで人間を運んだり、戻したりしなければならない。
日本は宇宙開発には地政学に良い条件である。
太平洋を向いているので、地球の自転が利用できると同時にロケット破片は海中に落ちる。特に発射失敗の時、地上だと危険だ。ソ連や中国で、以前、有害な
物質が人の住むところに落下したことがあった。
新生JAXAの理念は、
1、 経営理念・・宇宙と空を活かし安全で豊かな社会を実現する。
2、 先進的な技術開発、幅広い英知でその成果を社会に展開する。
3、 行動宣言・・人々の喜び、人類、社会の英知を拡大させる。
などである。

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以上、日本の宇宙開発のひとつの特徴は、米国、ロシア、欧州の国際的な
ネットワークを結ぶ大きな役目を負っており、さらに地球環境に対しての貢献、
新しい技術の開発、さまざまなものがあり、予算1500億円は少ないのではないか。(この項以上)

「大砲からみた幕末・明治」 近代化と鋳造技術

中江 秀雄著
法政大学出版局発刊 定価¥3,400-

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帯紙に「大砲製造の技術史から近代を読む」とあるが、早稲田大学名誉教授の中江 秀雄氏は銃砲史学会の理事であり、史学会例会の世話役としていなくては困る存在の重要人物だ。彼は「自分は鋳物やと鋳物専門を強調する」しかし私たちに「鉄」と言っても、いろんな鉄があることを機会あるごとに教えてくれた。彼の退任講演を聞いた。そのあとのものすごい「都の西北的飲み会」にも出た。その講演で彼はエッフェル塔の例を出した。エッフェル塔が作られ、19世紀半ばの欧州の鉄鋼の生産量は当時の日本とはくらべものにならず、さらに英国のさまざまな機械や橋に鉄をふんだんに使用した文明に比較して当時の日本の鉄文明の遅れを19世紀最大の兵器、大砲を上げて説明したのがこの本の
内容だと感じた。日本は欧米先進国に100年遅れて産業革命に入るがおよそ
30年間で追いついたと言うのが私の持論だが、中江名誉教授は鉄鋼の生産が近代的になり量的にも追いついたのは昭和の時代になってからと言っていた。
書物概要は以下のごとくである。
1、 はじめに
2、 鉄砲伝来から大砲まで
3、 わが国を取り巻く世界の情勢と大砲。
4、 溶鉱炉からの変遷―甑から反射炉へ
5、 反射炉による鋳鉄砲の製造
6、 わが国の鉄―幕末の銑鉄と鋼
7、 幕末から明治の製鉄所・造船所・軍工廠
8、 明治の製鉄―釜石から八幡へ
9、 江戸時代以前に設立された鋳鉄鋳物工場
10、 明治時代に設立された鋳物工場
11、 おわりに
以上である。
幕末、日本は19世紀最大の兵器、大砲、それを効率的に使用する艦艇が
なかったから、不平等条約のもと開国せざるを得なかった。しかし文化三年
(1863)の薩摩、長州と列強との戦闘でその弱さを実感し、明治維新、そして
立憲君主国と言う新体制での「殖産興業」(産業革命)と「富国強兵」(帝国主義)と国家の方針を急速に転換せざるを得なかった訳だ。だから1から5までの項目より6以降の中江名誉教授の専門研究のほうが数倍魅力のある内容であった。なおこの本は多くの図、絵画、表などビジュアルな利点が大きい。
第二次大戦中、鉄の供出を逃れた、早稲田大学正門の話、早稲田には門はないは、学問の比喩であり、本来は鉄製の門があったそうだ。
(以上)

伊達正宗公甲冑を元にした宇宙の悪役

映画「スターワォーズ」は1977年に初作が公開された。今の地球を宇宙に置き換えた設定が面白く全世界的なヒット作品となった。
その中で「シスの暗黒部」の悪役「ダースベィダー」の奇抜な甲冑姿は注目を集めた。作品はシリーズとなり何作品が続き、20年間おいてまたCGを駆使したものが作られた。ダースベィダーの甲冑は、作者、監督のジョージ・ルーカス、彼は黒沢作品が好きで、特に三船敏郎のファンであったことから、日本の甲冑、をデザインしたと言われていた。ベィダーの甲冑も作品を追うごとに少しずつ変化が見られるが。

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発表されている限りで初作のものは、仙台市博物館展示の黒漆塗五枚胴、伊達正宗公所用の甲冑と言われた。

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昨日、子供向けイベントに出ていたものは直近のベィダーだった。
日本の甲冑、奇抜な意匠や、面頬は外国人にはとても魅力があるようだ。
大体、このシリーズの主人公は着物姿の人間が多いし、アクションはチャンバラ、と極めて日本的な色彩が超未来、宇宙空間に出現するのも興味深かった。

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上しか見えないので中の人はつらそうだ。

 

「自らの国家意識を持つ」と言う提言

はじめに)

私は陸上自衛隊武器学校幹部コースの学生に対し毎年、2時間の講話を行っている。パワーポイントやDVDを使い、毎年の内容は大体、以下のようなものだ。
兵器は19世紀欧米で急激な発展をとげ、大戦争においての犠牲はそれまでと比較にならぬ規模となった。大砲の発達、ライフル小銃、そして20世紀にかけては機関銃の発達が大きな要素であり、その背景は18世紀末から欧米で進行した
産業革命と帝国主義だ。

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日本は微妙なところにいた。19世紀初頭、欧米列強のさまざまな挑発を受けたが、艱難辛苦の果て1868年、明治維新を遂行し立憲君主国として政治、経済、社会の近代化を図り、かろうじて先進国クラブに滑り込んだ。もしそれが少しでも遅れたら、今の日本はなかったであろう。
明治政府のテーゼ「殖産興業」は産業革命と近代化であり、「富国強兵」は帝国主義(欧米とは異なるが)を意味していた。

image003明治の砲兵

だが現在、日本人はほとんど、江戸期末期から明治、大正、昭和と言う近代の歴史に疎い。なぜなら半世紀以上にわたり、日教組が歴史を正しく教えなかったからだ。間違った内容や無知により教師たちは江戸中期くらいまでの歴史に10カ月間を掛ける。日本の中高校では、正月休みが終わり、約1か月間で、近世から近代への変革を題字だけで教わると、ある教育者から聞いた。本当だろう。
それにメディアだ。「シバリョウタロウ」という作家とNHK大河ドラマが日本史を国民に誤解させた。

1、 武器学校にふさわしい講話の内容

近世から近代にかけての武器兵器の発達と、戦争での効果、世界史にあたえた事実をまとめて、日本史をからめ具体的、客観的に説明してきた。
以上のような意味もあり、このような内容は武器学校生徒にはふさわしいテーマであり、自分が実際に近世から近代の武器兵器を研究しそれらを操作した経験を確信を持ってやるが、毎年のならいとなりこの講話は8年間続けている。
私が米国南北戦争を研究し米国の各地の戦場やゆかりの地を回り、紹介を受けた地元の研究者と交流し積み上げた知識と経験は他の人には真似できるものでないと自負している。

image004南北戦争臼砲を発射する筆者

2、講話の進行

自己紹介に始まり、日本の戦乱と平和の大きなうねり、日本兵器史概略(ここには元寇のことを入れ特に「高句麗」(今の北朝鮮の歴史的危険性も述べる)、日本の海防と世界の戦乱(クリミア、米国南北戦争が主なテーマだ)、文久三年(1863)を覚えておけ、19世紀初頭までの日本の武器兵器特に大砲の遅れ、
産業革命の意義、明治維新の意義、日本近代化の背景などだ。

3、今年は日本帝国を学べ(日本帝国にではない)を強調した

帝国陸海軍のこと(1870-1945)を「旧軍」と言う人がいるが、この言葉は間違いだ。定義されてない。もし旧軍が存在したなら、自衛隊は「新軍」なのか?そんなことを言う歴史家はいない。
日本帝国陸海軍の特徴は大体以下のようになろう。
イ、 帝国陸海軍は各々別な組織であり、天皇が統帥した。兵器の互換性や統合性はあまり考えていなかった。
ロ、 帝国陸海軍期間は制定兵器や出来事の年号は漢数字を使うべきだ。(すでに戦後のもので同じ年号がある)
ハ、 日の丸、君が代、旭日旗の由来を知る。君が代は独唱できるが当たり前。

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ニ、 朝鮮、台湾は日本による「統治」であり、欧米的植民地支配ではなかった。
ホ、 各々の戦争の具体的、客観的事実は自分で勉強する。
などだ。

4、「国家意識を認識」する

今年はそれに各自が「国家意識」に基づき歴史、特に日本が近世から近代にかけてどのような努力をしてきて現在にあるかを知れという点を強調した。
日本帝国は立憲君主国で憲法も議会もあり、人口は70年間で3500万人から7000万人と倍に増加した。(統治地域は含まず)

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これは武器学校の生徒だけでなく、日本国民全員に言えることだ。
しかしすでに日本の近世から近代、現代史を正しく認識し教えられる人は数多くはいない。空白ができてしまったことは事実であろう。
それで今年はこのことを強く述べた。
また戦争の事実は他人や他国が言うことを信じるのではなく、自分で事実を知り評価をする、と言うことを強調した。例えばマレー沖海戦の意義。

image007プリンス・オブ・ウエールズ轟沈

話は変わるが、再来年、ロシアワールドカップ、日本は出場できないと思う。最終予選を通過できないからだ。それは日本選手たちがかってのサッカー後進国から一時は上位のランクにまで入った先人の努力を忘れ、また自分が日本人であるという認識が薄いと思われるからだ。(勿論、ナショナルチームだから全員が日本人だ)なぜそのように言うかとの理由は簡単なことだが、試合前、チーム全員が大きな口を開け国歌、君が代斉唱をしないからだ。
(この項以上)