日本銃砲史学会研究目録

会誌研究目録

研究内容と著者

No 号数 年月 種別 題目 著者
1033 382 H27・6 論文 常識を覆す玉の存在―戦国合戦の理解の一助― 宇田川 武久
1032 382 H27・6 研究ノート ラオス北部における鍛冶技術と前装式銃 神野 信一
1031 382 H27・6 例会報告 鉄の起源そして和鉄、洋鉄 野崎 努
1030 382 H27・6 例会報告 ミニエ式小銃の20年間とその性能 須川 薫雄
1029 382 H27・6 例会報告 「てつほう」研究会中間報告 畑中 修二
1028 382 H27・6 資料紹介 江戸鉄砲小道具の世界 計量具 小西 雅徳
1027 381 H27・3 論文 西南戦争前後の火箭 高橋 信武
1026 381 H27・3 研究ノート 『火薬類通覧』から見た鉄砲用火薬について(前) 栗原 洋一
1025 381 H27・3 執銃マナーと打ち放し礼式―武道の視点からー 青木 孝
1024 381 H27・3 資料報告 大久保台遺跡から出土の大砲砲弾片の自然科学的分析 平井 昭司
1023 381 H27・3 江戸鉄砲小道具の世界 鉄砲袋と箱 小西 雅徳
H27・6 『銃砲史研究』平成26年度例会史料集 日本銃砲史学会
1022 380 H26・2 報告 幕末壬生藩における西洋砲術覚書―その受容と実態、
そしてテクノクラート友平 榮一―
中野 正人
1021 380 H26・2 研究ノート 中国における元明清下方研究文献の整理と紹介 鄭 鞼 鞼
1020 380 H26・2 研究ノート 銃器・弾薬類の発達 磯村 照明
1019 380 H26・2 資料報告 文久二年 米澤藩鉄砲用黒色火薬の成分分析について 瀧上 昭治、
峯田 元治
1018 380 H26・2 資料報告焔硝甕について-火薬製造と収納― 小西 雅徳
1017 379 H26・7 論文 日本における子砲式後装砲の展開 神田 高士
1016 379 H26・7 発表 19世紀イラン高原への新たな小銃および関連技術の流入とその影響 小澤 一郎
1015 379 H26・7 発表 松本城の火器仕様 青木 教司
1014 379 H26・7 発表 天正10年松本城小笠原鉄砲衆について 市川 慶一
1013 379 H26・7 発表 八重とスペンサー銃 加藤 高康
1012 379 H26・7 解題 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について(後) 堤 昭夫
1011 379 H26・7 配布資料 ふたたび鉄砲伝来論―村井氏の批判に応える 宇田川 武久
 No. 号数 年月 種別  題目  著者 備考
1000  378  H25.5 論文  日本海軍における丁字戦法に関する一考察 堤 昭男
1009  378  H25.5 研究
ノート
 幕末福岡藩と孔中八角銃身火縄銃 安田 修
1008  378  H25.5 研究
ノート
 長薄公御遣事児嶋精功氏談話(抄)
1007  378  H25.5 解題  艦砲射撃の命中率に関する黛論文について(前) 堤 昭男
1006  378  H25.5 再録  日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷(前) 黛 治夫
1005  378  H25.5 再録  日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷(後)
砲術に関する用語の説明
黛 治夫
黛 治夫
1004  378  H25.5 例会発表  第391回例会報告(平成25年9月8日) 磯村 照明他
1003  378  H25.5 例会発表  第392回松本例会報告(平成25年10月19日) 青木 教司
市川 恵一
宇田川 武久
1002  378  H25.5 資料紹介  Ken Elks『日本の弾薬1886-1945,1,2』 須川 薫雄
1001  378  H25.5 資料紹介  黛 治夫『海軍砲戦史談』 名古屋貢

 

号数 年 月 著 者 題 目 ページ 備 考
1000 377 H25.9 前田達男
田口芙季
 幕末佐賀藩における長崎砲台の見聞記録
999 377 H25.9 堤明夫 敵前大回頭に関する黛論文の評価と今日的実相
998 377 H25.9 飯島矢素夫 兵器生産の歴史から何を学ぶか
997 377 H25.9 名古屋貢 (文献紹介)宇田川武久著『幕末もう一つの鉄炮伝来』
996 377 H25.9 宇田川武久 (新刊紹介)『日本鉄砲の歴史と技術』
995 376 H25.6 岩田明広 埼玉県行田市埼玉古墳群で発見された忍藩角場について
994 376 H25.6 中江秀夫
峯田元治   小西雅徳
オランダ渡りというボンベン弾の鋳型から見た砲弾の造り方小西雅徳
993 376 H25.6 小西雅徳 西洋兵学書の翻訳について
992 376 H25.6 室賀脩 岩倉使節団の見た欧米軍事事情 特に鉄砲
関連 -米欧回覧実記によるー
991 376 H25.6 磯村照明 Spencer Rifle & Carbine with Cartridges
990 375 H24.3 安田 修 鉄砲から見た江戸時代砲術の分派と合流
―国友丹波大掾の橘宗俊銘の鉄炮の検討からー
989 375 H24.3 前田 達男
田口 芙季
幕末佐賀藩における長崎砲台の配備記録
988 375 H24.3 名古屋 貢 陸軍大日記の中のスキー
-仮想敵国ロシアに対する冬季作戦からの考察―
987 374 H24.12 前田 達男 幕末佐賀藩における鋳鉄砲の試射記録
986 374 H24.12 原田 喬 幕末の海防と反射炉・中小坂鉄山
985 374 H24.12 中江 秀雄
峯田 元治
岡崎 清
安井 純一
安乗神社の鋳鉄大砲
984 374 H24.12 宇田川 武久 鉄砲の出現と当世具足の出現
983 374 H24.12 木村 浩一 浪岡城の概要と歴史等
982 374 H24.12 宇田川 武久 幕末・津軽藩の海防と和洋砲術の展開
981 374 H24.12 須川 薫雄 青森県・岩手県の古式銃登録に関して
980 374 H24.12 平泉 喜久郎 津軽の変遷と浪岡城落城400年
979 373 H24.7 名古屋 貢 東三省工廠から奉天造兵所までの変遷
978 373 H24.7 山崎 和彦
中江 秀雄
薩摩筒の分析からの材質と製造法
977 373 H24.7 峯田 元治 薩摩筒の調査・追補解説
976 373 H24.7 今津 浩一 ペリー提督と開国条約
975 373 H24.7 須川 薫雄 日本製のゲベール銃
974 373 H24.7 松岡 孝治 狩猟2012原村
973 372 H24.3 安田 修 尾張藩の田付流千字文の鉄砲について
972 372 H24.3 宇田川 武久 豊後佐伯藩の大鉄砲―津田流から伊勢の守流へ
971 372 H24.3 伊藤 秀憲 初期江戸幕府の西洋砲の導入
970 372 H24.3 加藤 朗 辺境の硝石造り―祭りと火薬―
969 372 H24.3 北村 陽子 千代田型艦と宇都宮三郎のボート砲鋳造
968 372 H24.3 高橋 達郎 百人町 鉄炮百人組―今と昔―
967 372 H24.3 戸高 一成 「戦艦陸奥」のVC甲鈑
966 H23.12 宇田川 武久 日本における仏郎機砲の再検討
965 H23.12 名古屋 貢 東京砲兵工廠用地の変遷と第一次大戦中の出荷額比較
964 H23.12 小林 芳春 設楽原の鉄炮使用と鉛玉
963 H23.12 峯田 元治 大筒鑄之図―生型鑄型による大砲鑄造
962 H23.12 鈴木 松雄 陶製手榴弾製造の実態記録
961 H23.12 須川 薫雄 陶製手榴弾への疑問
960 H23.12 小野崎 敏 釜石鉱山と大島高任
959 H23.12 須川 薫雄 八九式重擲弾筒50㎜世界初の個人装備砲
958 370 H23.8 平井 昭司 佐賀藩反射炉から出土した鉄及び大砲鉄錆片の分析
957 370 H23.8 安田 修 野田清堯の鉄砲銘からみた武家の序列
956 370 H23.8 原 裕一 向ヶ岡弥生町に建設された警視局(庁)射的場と射的場関連遺構
955 370 H23.8 峯田 元治 芝辻理右衛門の大砲・研究記録
954 370 H23.8 須川 薫雄 前装銃世界大会に見るレプリカ銃と課
953 370 H23.8 須川 薫雄 24回MLAIC世界大会における日本の火縄銃審査
952 370 H23.8 峯田 元治
青木 健見
平成23年度総会報告・日本銃砲史学会会則 平成23年8月発刊
951 369 H.23.3 峯田 元治 日本銃砲史学会・産業考古学会鉱山金属分科会について
950 369 H23.3 北野 進 佐々木稔氏「幕末の反射炉操業と洋式高炉製鉄法」に変えて
949 369 H23.3 霜禮次郎 江戸内海のお台場とその大砲―和鉄から洋鉄へ
948 369 H23.3 梶原 利夫 湯島大砲製作所と増田家文書
947 369 H23.3 足立 恒 鉄と鋳物のおはなし
946 369 H23.3 小西 雅徳 有馬成甫・所荘吉両氏の銃砲史資料について(経過報告)
945 366・367 H22・11 宇田川武久 銃砲史研究の深化と体系化を望む
944 366・367 H22・11 峯田 元治 生田豊太郎先生を偲ぶ
943 366・367 H22・11 青木 孝 生田豊太郎先生のこと
942 366・367 H22・11 折原 繁 千葉県山田町所在の郵便保護銃について
941 366・367 H22・11 峯田 元治 立花家の鉄砲 三木流火矢筒
940 366・367 H22・11 小西 雅徳 加賀藩下屋敷における西洋調練・大砲鋳造について
939 366・367 H22・11 三好 仁 爆発衝撃による構造物破壊・成形爆薬の工業的利用
938 366・367 H22・11 中西 崇 小田原藩の村足軽制度成立をめぐる一考察
937 366・367 H22・11 北村 陽子 川越藩お抱え鍛冶蟻川和歌吉
936 366・367 H22・11 須川 薫雄 二人の兵器開発者
935 366・367 H22・11 宇田川武久 上杉景勝と直江兼次の鉄炮と炮術
934 366 H22.7 須川薫雄 日本の火縄銃目当てをめぐる議論その1(PDF)
933 366 H22.7 須川薫雄 2種の異なる日本戦闘機固定機銃7・7mm(PDF)
932 365 H22.4 小西雅徳(区立板橋郷土資料館館長) 鉄砲小道具の種類とその用途について-特に火薬入・口薬入を中心にー 1-22
931 365 須川薫雄 効率的だった日本の火縄銃と装具 23-35
930 365 安田修 救命投索砲について 36-58
929 365 岡崎清 国友鉄砲鍛冶小屋の現状 59-68
928 365 峯田元治 無可動・遭難信号用ピストルの一例 69-75
927 365 中原正二 資料紹介 峯田元治・中江秀雄著「江戸後期の鋳鉄製大砲」 76-77
926 364 H21.11 峯田 元治 松井文庫の大砲 増田安治郎作 1〜11 縦書
925 364 富原 道晴 会員情報 お詫びとお知らせ 64〜65
924 364 霜 礼次郎 明治21年 我が国初めての放鳥射撃大会 60〜63
923 364 霜 礼次郎 開国後、我が国初のライフル射撃 55〜59
922 364 中原 正二 火薬技術者 南坊 平造氏 45〜54
921 364 須川 薫雄 効率的なる日本の火縄銃 37〜44
920 364 室賀 脩 幕末欧米派遣視察団の見た鉄砲
万延元年遣米と文久元年遣欧使節
37〜44
919 363 H21.8 峯田 元治 会員著作案内・第7回日本銃砲史学会総会報告
918 363 川口 静夫 種子島の砂鉄について
917 363 織田 昌彦 長篠・設楽原鉄砲隊・愛知県古銃研究会
916 363 小林 芳春 火縄銃連続打ち(三段打ち)の検証 その一
915 363 大松 騏一 関口大砲製造所の6年間
914 363 小林 芳春 岩瀬忠震の開国感と品川砲台前後
913 363 久保田俊輔
中江 秀雄
火縄銃の製法解析
 

 

 

 

 

号数 年 月 著 者 題 目 ページ 備 考
912 362 H21.3 青木 健 土浦藩の鉄炮塚について 77~82
911 362 H21.3 須川 薫雄 陸上自衛隊武器学校技術資料館展示 60~76
910 362 H21.3 峯田 元治 第4回地方例会
自衛隊武器学校、予科練記念館、野田市民館 火縄銃と管打ち・縁打ち銃の見学
58~59 隊武器学校、野田市民館 見学
909 362 H21.3 川口 静夫 火蓋の鋳造について 50~57
908 362 H21.3 須川 薫雄 火縄銃と火打石銃の実用性比較 45~49
907 362 H21.3 峯田 元治 清国カルロン砲の鋳造技術 38~44
906 362 H21.3 小西 雅徳 清国カルロン砲の由来とその性格について 34~37
905 362 H21.3 伊川 健二 鉄砲伝来の史料と論点(下) 11~33
904 362 H21.3 中江 秀雄
安井 純一
永瀬家の鋳鉄製大筒の黒鉛組織 9~10
903 362 H21.3 峯田 元治 永瀬家の大筒の周辺から 3~8
902 361 H20.11 鈴木 輝彦 資料紹介 中原正二著「火薬学概論」 66
901 361 H20.11 峯田 元治
安田 修
小笠原 信夫
大垣藩田付家生国控と六代目の鉄砲 56~65
900 361 H20.11 伊川 健二 鉄砲伝来の史料と論点(上) 29~55
899 361 H20.11 須川 薫雄 三十年式装具と日露戦争 25~28
898 361 H20.11 中原 正二 横須賀重砲兵連隊 10~24
897 361 H20.11 中江 秀雄 大宮普門院の鋳鉄製大砲の化学組成と分析試料採取法 8~9
896 361 H20.11 峯田 元治 普門院の大砲と分析 3~7
895 360 H20.8 小高 正稔 資料紹介 海軍装甲技術史 戦艦富士・三笠から大和まで 寺西英之 慶友社 42
895 360 H20.8 第6回日本銃砲史学会総会報告 43~48
894 360 H20.8 須川 薫雄 資料紹介 日本の武器・兵器-火縄銃から機関銃までの4部作について 41
893 360 H20.8 峯田 元治
中江 秀雄
安井 純一
火縄銃、尾栓(雄ネジ)の調査 39~40
892 360 H20.8 峯田 元治 検証『田付流鉄砲のネジ』その一例 29~37
891 360 H20.8 須川 薫雄 日本への機関銃導入と開発 23~28
890 360 H20.8 磯村 照明 『歴史群像』の構成・編集にかかわって 16~22
889 360 H20.8 峯田 元治 12ポンド・ボート砲砲車の数値的検証 韮山の砲車はペリー贈のボート砲砲車である 10~15
888 360 H20.8 山田 太郎 日本銃砲史学会創立当時の思い出とこれからの展望 8~9
887 360 H20.8 磯村 照明 日本銃砲史学会の会計の独立採算制の採用 6~7
886 360 H20.8 日本銃砲史学会会則 3~4
886 360 H20.8 中原 正二 日本銃砲史学会再活性化のために 5
363 H21.8 日本銃砲史学会会則 03~04

(管理人記)

日本銃砲史学会歴史

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「十 手」―破邪顕正の捕物道具―

書評 谷口 柳造著 「目の眼」社刊 
本体価格¥2,800- A4判カラー200ページ

谷口氏は本格的な骨董商であり、骨董全般に博学であるが、長いこと
名和 弓雄先生のもと捕縛術を研究してきた方である。
十手、捕物道具の収集家として高名で、この本の執筆にはおよそ
30年間を掛けたと巷では言われており、現在第二作を執筆中である。

日本の捕縛(逮捕術)には世界にない一つの大きな特徴がある。
それは容疑者、被疑者を殺さずに逮捕する概念で、これは現在にも
生きていると思われる。
例えば米国では拳銃を出せば、警官は直ぐに自分の拳銃を発射する。
多くの場合は拳銃、もしくはらしきモノを出してだけで射殺される
確立は高い。日本警察の方針は「成るべく殺さず対処して、取り調べ、
裁判に掛ける」である。
この伝統は日本の捕物用具は工夫されており、更にその種のものは
さす又など今でも使われている事実でも生きている。

十手は武器としては「打ち物」と呼ばれる種類で、なるべく相手に深刻なる危害を与えず、刃物などを打ち落とすが目的だが、持主の所属や身分を示す道具でもあった。
実物を手に持ってみるとそのバランスの良さ、頑丈な造りに感銘を受けるほどだ。
この本は各種の十手を、身分、地域、制度などで分類し、詳細な写真を中心に説明がある。
さらに万力鎖、房(身分を表す)、鉤縄、手錠、鍵などの写真も綺麗だ。
十手は昭和初期まで使われていた。だが、贋作も多い。
この本のような綺麗で、詳細な写真を見れば贋作は明らかだが、谷口氏は贋作の多くは本体と柄が溶接されたもので、実物は 柄と本体は別で、組み込まれていると語っていた。

さらに、同氏のお話によれば捕物具は、袖がらみ、さす又など長物も、刃物を持ち暴れる危険人物を遠くから押さえるもので、捕縛、逮捕を目的とするものだ。
その目的に同心は目つぶし(砂やトウガラシ、その他刺激物を混ぜた粉末)とそれを吹く道具、小型の短筒を所持してと言う。短筒は短く、二個の早合を羽織りの紐に掛けていたと。丸玉ではなく、上記のような目つぶしの粉を武器を所持する危険者の眼に発射したと。
「殺さず捕まえる」方針が一貫されていた。
現在の警察官拳銃にもそのような弾薬があれば便利だが。

十手は便利で使い易い打ち物ではあるが、その使用には、簡単な道具ほど、十分な訓練が必要の鉄則は当てはまろう。
(以上)

『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』

加唐亜紀著
A4変形 192頁 西東社 925円+税

オールカラー。古代から西南戦争まで、70の合戦を時系列に並べ、600点を超えるCG、イラストなどともに紹介する。火縄銃や、大砲を使用した合戦も取り上げている。
全国の書店でご購入できます。ない場合は注文してください。

僕の狩猟 

平成30年12月

はじめに)

ハンティングはスピリチュアルなスポーツだ。
大げさに言うなら、個人としての能力をワンシーンでどこまで発揮できるかだ。
山荘の横には「山の神」を祀った小さな神社がある。
何か伝統的な地域の精神に触れるような気がする。
僕が銃砲所持許可、狩猟免状をもつようになり、そろそろ40年が経つ。
先日、散弾銃の更新を申し込んできた。
その時に記入する書類に過去の銃歴があったが、それによれば散弾銃はすでに
3挺、空気銃を2挺、返納していた。
現在はライフル銃1挺と散弾銃1挺の体制だ。

狩猟免状では比較的早くから網・ワナ猟を取得した。
この40年間、日本国内での狩猟内容も随分変化したが、2度目の米国勤務の
10年間は米国で狩猟した経験があることが想起される。
この経験は日本と米国の銃砲管理と自然に関わる重要なテーマに多くの知識を
得るきっかけとなった。

僕の現在の狩猟)

福島県の山荘が拠点であり、そこに置いてある28年前のジムニーが主な足だ。
銃はライフル銃、ザウエル(win270)7㎜カスタム、ツアィス12倍スコープ付と散弾銃、上下2連、12番ミロクカスタム、スキート銃身。
ライフルはイノシシ猟、散弾は雉、山鳥、キジ鳩、その他駆除対象に使用する。
狩場は山荘から10km内外の山林・原野と耕作放棄地。
犬は使わない。
単独行動の猟だ。巻き狩りもしない。
だが地元の人たちの応援を得ている。ガイドにはかっては空挺隊
出身のYさん、現在は隣のKさんだ。サバキもお願いしていた。
いずれからも付近の様々な情報を得ている。
現在は携帯電話で近くに住む人達からその場その時で情報が得られるので便利だ。

今年の狩猟)

今年はエポックメーキングな年となった。
自分のスタイルが出来た。
Kさんの具合が悪く、一人でスポットを回り、自分で獲物を見つけ、仕留め、
運び、サバイたことだ。無論、調理もした。
狩猟開始から3日目にイノシシ1頭、4日目に1頭目、そして5日目に3頭目を仕留めた。
その間にも毎日、鳥類は複数仕留めた。
午後、鳥類、午後遅くイノシシと時間が分かれるのは効率が良い。

イノシシ猟)

犬を使わず、単独でよくできると言われるが、イノシシが出てくるところ、
時間を推定するのが「技」だと感じる。
また、狩場のご近所や地主の方々とは普段よりの緊密なコミュニケーションが
重要だ。獲物の一部をお分けすることもある。
狩場は自分で設定、例えば「社長の谷」「炭焼ガ原」とか呼び名も付ける。
同じところには連続して行かず周期を保ち、回る。
「社長の谷」はおよそ奥行き1kmの上り勾配の耕作放棄地で牧草の叢だ。
谷の入り口手前に、「社長」と言う方が住んでいて、この社長の先祖が開拓した田だった。現在も家族が大規模に居住している。
田には軽トラが入れる農道があり、谷を見渡すように林道が平行している。
林道を上がり時々下を見る。上がり切り、方向転換して降りてくる。
双眼鏡で慎重に獣の山からの出口付近を観察する。

これを繰り返すと、いつの間にか、すでに暗くなってきた山からイノシシが
出ている。見つけるとそっと降りて、車はエンジンを掛け、ドアも開いたまま
にして、道路を外れ、上から狙う。距離は50m-70mくらいだ。
仕留めたら、農道に回り回収する。こんな手順だ。
見つけた目標は大体、数頭連れですべてがメスであろう。オスは離れている。
あまり大きな目標は撃たない。一人では運搬できないからだ。
子を産んでないメス、体重50㎏くらい、全長90cmくらいを狙う。
ライフル銃には4発装填できるが今までワンチャンスで2発発射して2頭倒したことは一度しかない。
イノシシは天気が悪く、雲が厚い状態では昼過ぎから出てくる。
この時はタイミングが重要だ。
スポットとタイミングを察知するのはいわゆる「勘」だ。

キジ猟)

イノシシ猟が11月中旬、午後4時くらいとすると、午後2時ころから耕作放棄地、と周辺が見える原を車で走る。ここはいるなと思うと、車を止め、徒歩で
散弾銃をもち降りて行く。キジも山鳥もオスが一羽いると周辺にメスが数羽はいることが多い。開けたところでないと、回収が難しくなるので、場所選びが
重要だ。
オスは高い枯草の中かれ出て、ひとりで地面を突いている。
本当は稲刈が済んだ田圃が最適だ。

大きなオスは大体1kg、全長が80㎝ある。
この山のキジは本当の日本雉で羽がとても綺麗だ。毛バリを作る材料にする。
3号弾を下に5号弾を上に装填する。

その他の有害鳥獣)

カラスは非常に難しい。銃を見つけるとすぐに射程外に飛ぶ。
これは自分の敷地で落としたものだ。

以前は渓流釣りの敵、鵜を撃ったことがある。
だが川で撃つのは非常に困難だ。水平撃ちになるし、岩が多い。
山の中のもとは養殖場であった古池のそばでたたずんでいた時に偶然、降下してきたものを仕留めたことがある。3号弾だった。
獣、外来のハクビシン、アライグマ、それになじみのあるタヌキ、テン、アナグマ、見たことはないが、モモンガもいる。
近くの草むらには鼠の穴が多くみられるので猛禽類も来る。
アナグマは、敷地を未明から明け方にかけてうろついている。
イノシシの臓物やカラスなどは片付けてくれる。現在、アナグマは捕まえない
方針だ。

アナグマが庭につけた獣道、落ちたマメ柿を食べにくる。
隣で掛かった、テン、農作物を荒らしにくる。

ワナ免許はどうつかうか)

一つは箱罠で獣を捕まえる。以前はトラバサミが効果的だったが、獣の数は
10年前に比較するとかなり増えている。
主な原因は人間の数が半分くらいに減ったことだ。
道路の整備で曲がりくねった以前の道路が閉鎖され、獣の拠点になっている。
暗渠が整備され、それを伝い、人家の近くまで出やすい。
もうひとつはイノシシのくくり罠だ。
これは地元の協力がなければ実施できない。今年は登録したが、Kさんが
ダウンしたので、掛けることはなかった。
気温の低い山中なので、真冬には氷ついて効かないこともある。
以前はかかったイノシシは村田銃で仕留めたが。

さばき)

T君撮影、今年は初めて同君に手伝ってもらい自分で解体した。
イノシシの場合、体重が40kgだとすると大体半分の肉は取れる。しかし自分でやってみるとなかなか厳しい作業で、中腰のまま4時間くらいかかった。
敷地ないに渓流があるので、このパレットで解体するが、残りは深いところに
沈め、上にパレットを被せて置く。結局は3日かかりだった。
冬の渓流でも水量にすれば水道2-30本分は流れている。水がないと解体は
難しい。
僕の作業では肉は20kg弱しか取れなかった。
鳥類は毛をむしり手羽、足、尾羽、頭、内臓を取っても8割ほどが食べられる。
料理は和風にしても飽きるので、洋風、ジビエにしてワインを飲むのが
楽しい。

課題と反省)

とにかく今の日本での狩猟は安全が第一だ。
事故を起こしたら、全てジ・エンドとなる。
狩猟解禁は11月15日、このころ地域は大変忙しい。
予想もつかないような作業が山中で進んでいる。
山林整備、農地整備、道路工事、測量、観測など、すでに山菜やキノコ採りは終わっているが多くの人が山に入っている。12月-2月は作業の効率が悪くなるので、この時期に集中するのだ。普段閉じている空き家にも連休には人が来る。
山に人がいるかいないかは、道路わきの車で推察する。

一番、後悔するのは鳥類を撃ち回収できないことだ。
犬がおれば問題ないが、藪の中でもバタバタしておれば良いが、鳥は手負いに
なってもとんでもないところに静かに隠れる。そうなるとお手上げだ。
探しに行って、藪の中で漆系の樹木に触り、顔がカブレたこともあった。
イノシシでは土手にいた手ごろな目標を撃った。勿論命中した。
脚が揃い、土手をゴロン、ゴロンと二転がりして、見えなくなった。
渓流に落ちてそのまま流されて行方不明になってしまった。残念なことを
したが、なまじ水中から回収しようとしたら危険だったかもしれない。
狩猟中は必ず偏光のゴーグルを着用するようにしている。
当然、蛍光の猟友会ウエアも着る。

1週間、毎日出猟すると段々自分でも動作が荒くなると感じることがある。
その時は焦らず1-2日休むのが良い。
分かっているがなかなか出来ない。

狩猟の安全には地形の熟知が必要だ。
その点、僕のように30年間、同じ拠点を持ち、地元の人々と交流のあるのは
理想的と言ってもよい。
しかしライフル銃と散弾銃、2挺を持ち猟場に出て、しかも法令を遵守して理想的な猟をすると言うのはかなり難しいことだ。
犬は猟師の友だが、年に10日くらい役にたち、あとの355日を東京の家で
飼うのは無理だ。猟犬は当たりはずれがあり、他人にはなつかない。
米国でマルソンとキジ打ちに行ったときは彼の友人が犬を連れて同行した。

狩猟はアウトドアスポーツの頂点であると感じる。
狩猟民族(日本人の13%がDNAを持つと言われている。る)としての勘が研ぎ澄まされ、それに自然環境の知識、最高の銃とギア(装備)が要求される。
それに自然に社会に対する責任もある。
だが、現状、不特定多数の人々が参加できない。
シーズンが終われば多分お神酒と獲物の心臓を携え「山の神」にお礼に
行くのがまっとうなる現代のマタギの習わしであろう。
(終わり)

平成30年日本の安全保障を考える 「安全保障研究会講義議論」より

はじめに)
現況の国際情勢を見回せば日本人ほど呑気な国民はいないだろう。
安倍内閣は世界の現状をかなり意識している。日米安全保障の枠組みを変え、有事を想定し、
多くはないが国防費を増額し、新しい兵器を導入しつつある。
一方、安倍氏自身、河野外相を起用し、2人で各々目的をもち世界各地を訪れては外交に
誠心している。しかし外国勢力の影響を受けた野党のサボタージュのよる遅延は大きい。
私は、「本年(平成30年)を第三次世界大戦の始まりの年」と定義した。
勿論、第一次大戦の塹壕戦、第二次大戦の海戦、空戦、都市空爆、核兵器使用などとは異なる形であり、世界がふたつに分かれる構造でもない。
兵器は各段に発達し、宇宙、サイバー、生物化学、テロリズムなどの多様な形式の戦争だが、全世界を巻き込むだろう。歴史はのちに2018年を私が言うように定義するだろう。一方冷戦期を含め、米国以外に本格的に戦争をした経験をもつ軍隊がある国も稀である。つまり多くの人類は戦闘経験がないのだ。
第三次世界大戦の怖さは敵の顔が見えない。核や大量破壊兵器が使われる。敵と同盟が入り混じる。
この3点に尽きるのではないか。
幸い我日本国は過去数十年間、所謂左翼の平和憲法下で、防衛型戦略で
もって戦闘する「独自防衛兵器」に特化してきた。
そのひとつが警戒監視、哨戒、潜水艦などだ。改造すれば使える空母も用意した。石破が攻撃力のあるF-2
戦闘機の生産を打ち切った決定をしたには残念だが。

1、国際情勢急激な変化と日本の関係
幾つかある世界の危機を整理すると、以下のようになろう。

① EUの不安定化
② 米国独自の方向を堅持、特にトランプ大統領の個性に振り回されている
③ 中東におけるロシア、トルコの対立
④ 朝鮮半島核装備
⑤ イスラエルの危機、核を使用する可能性増大
⑥ イスラム勢力の台頭とイラン核装備
⑦ アフリカ諸国の無政府化
⑧ 中国の海洋進出による米日連合軍との太平洋戦争
⑨ 難民増加による世界全体の社会不安
⑩ 国連解体(国連と言う名称は第二次世界大戦勝利国のユナイテッドネイションズが正しいが)

などである。

2、日本における危険
朝鮮半島が核を保持したまま統一する。南5000万人、北2500万、北の背後には満州の朝鮮族2000万人(人民解放軍だが、1950年朝鮮戦争のように北に加担する)
合計1億人近い、巨大な「反日国家」が出現する。
この存在は中国にも、ロシアにも恐怖だから矛先は主に日本国に向けられる。
日本国と中国・朝鮮間の領土問題は1957年、世界150カ国近くが署名したサンフランシスコ条約で解消していると日米は考えているが、そうではない。
中国は国共内戦、朝鮮は大日本帝国の一部と言う理由・解釈で彼らは参加できなったのだ。

だから、尖閣、竹島の領有をかたくなに主張している。また中国に至ってはヤルタ協定(蒋介石は出てなかったが)で沖縄は中国領にと言う米国ルーズベルト大統領の発言を故意に了解している可能性もある。現在、沖縄は日米の協力軍事基地があり、彼らには手はでない。
それにロシアとの北方4島は永遠に日本には戻らない。
日米は成るべく手の内を知られたくないが、先日の領海侵入した中国潜水艦に対する自衛隊のアクティブソナー攻撃が示している危険性など、海空の偶発的衝突は恐ろしい。

3、米朝会談の危険性
2018年6月の米朝会談の結果にはいくつか推定できるが、どれに転んでも
日本には大きな影響を与えるだろう。

① トランプ大統領が朝鮮戦争終結平和条約を締結することにより南北統一が行われる可能性。
② 会談が破棄もしくは一致に至らず、北は中国の支援を受けたまま核を保有する危険性。
③ 米国が北に軍事行動を起こす。(すでに2月、日本海に原子力空母3隻、ステルス爆撃機が北領上を飛行、攻撃一歩手前であったが)

どの場合も日本国には北のノドン、スカッドなど、小型核搭載可能ミサイル攻撃を日本国内米軍基地的に受ける。
当然基地の周りには数十年間に工場、民家が立て込んでいて日本人も大きな被害を受ける。ミサイルが目標をはずれ関係のない都市部に飛んでくる可能性もある。
これらに対する3段階のミサイル防衛計画はまだ十分に現在の状況では整ってない。(統合幕僚長の講話)、日本独自のミサイル開発、配備には兵器の通例として10年間かかる。

4、それだけでは済まない問題

膨大な数の武装難民が日本国土に押し寄せる。その排除というか対策もたってない状況で本来、海保、警察任務だが対応できないから自衛隊も担務することになろう。現在の規模の人員ではとても足らぬ。
ロシアは国境線に多くの機銃、弾薬を配備しすでに準備完了だそうだ。
難民はすでに日本国内にさまざまな形で侵入している勢力と呼応してゲリラコマンドーを組織し、左翼を利用し
反乱を起こす。仮革命政府が成立して要請すれば、ロシア、中国の日本への攻撃も可能である。
だから第三次世界大戦になるのだ。

5、中華人民共和国の太平洋戦争
中国は明の時代に支配していたと称する南シナ海をすでに制覇した。
周辺諸国には対抗する軍事力はない。すでに南太平洋の島国国家にまで手は伸びた。
いずれ近く、米国と衝突するだろう。
現在の中国人民解放軍海軍は、とても米国の敵にはならないが、彼らのここ数年の拡大をみていると
馬鹿にはできない。日本国の自衛隊も巻き込まれるだろう。

6、地球の反対側の危機
新クリミア戦争勃発、イスラム共同国対イスラエルの戦争は宿命的なもので今度は第7次となる。中東情勢はさらに複雑だ。ロシアがシリアを援助しすでにシリア国内ではイスラエル対イランの戦闘は始まっている。イランの背後にはトルコとロシアがあるが、この両国も対立しており、敵・味方関係は複雑だ。ロシアはいつの間にか米国にかわり鍵となった。日本国民は遠いところのこと、エネルギーはどうにかなる、と深い関心はない。

7、国家の主権とは
言うまでもなく国家の主権は「領土、国民の生命財産の保全」である。それを基礎に憲法で
保障された人権は存在するのだ。
果たして日本国は国家の主権を保持できるか。大変難しい状況にあることをまずは国民が理解し、国会を
3週間も休会状態にした問題とはその重要度は比較にならぬ。
日本国メディアは多くが左翼に握られているから国民は国内の砂と世界の岩石の差がつかない。

8、笊のような国日本
第三国人問題、侵入ゲリラ推定一万人、テロリズムの余地は大きい。いつ何時何が起こってもおかしくない。
脱北の工作員を使った調査ではテロの原点は「大手町」から始まる。前に東京駅、後ろに皇居、そして主要
金融機関の本社、地下鉄のトンネルを走れば霞が関、最高裁、国会へは車より早い。このようなゲリコマが起これば
膨大な犠牲がでる。(地下鉄サリン事件25年前で実証すみだ)
私は過去10年間にわたり、防衛省モニター、市ヶ谷駐屯地モニター、東部方面隊オピニオンリーダー、土浦駐屯地モニター、武器学校資料館アドバイザーと日本国自衛隊に協力し、日本全国の駐屯地や基地を見学する機会を得て、様々な文章をこのHP、各方面に記述し、現況の日本国への危険性は一般国民より実感しているつもりである。

おわりに)
日本は米国に裏切られない限りの安全保障と、裏切っての安全保障の二つの道がある。
粛々と独自の軍備を増強し、国民の国防意識を高めるしか手はない。
米国を裏切れば、まずは日本共産党書記長粛清にはじまり多くの判断能力に優れた順番に国民が殺される。
世界はブロック化、また主要国での全体主義化が深く、静かに進行している。
日本国は国家をしての信念を持ち、強い指導力、外交力と独自の軍備力増強に励まなければならないと年頭より強く感じていた。さてこれからどうなるか?
(以上)

「趣味どきっお城へ行こう」NHKテレビテキスト

千田 嘉博監修/著
2016年2-3月

なぜ私の手元に送られてきたのか、NHKの人が講演に来た時に名刺交換したかご本人の講演を聴いたのか?千田さんの名刺が入っていた。

テレビ番組をムック版のきちんと編集した本になっている。サイズは24x30cm、127pオールカラーだ。 番組取材で撮影した豊富な資料、現在の写真、古画、図面、古図面、見取り、イラスト、展示物などで各々の城を説明が内容であるが、特に興味深いのは城の歴史である。
堀をほり、石を積み込み、門を作り、天守までの工程だ。

出てくる城は、この本が大河ドラマ「真田 幸村」にちなんだものなので上田、松代、小田原、安土、彦根、姫路、名古屋、大阪城の真田丸などだ。

タイミングよく国宝姫路城の平成の改修が終わったばかり、昔の白が映える漆喰の壁。
また彦根城の大堀切り、桝形門、そして上りの石垣などが印象に残る。

日本の城は何のためにあったのか?どれだけ現存しているのか?
それらは時代により異なるだろう。戦国期の山城から近世の城下町つくりの経済活動の中心、目的が違うからだ。

この号にはないが、城と言えば加藤 清正と熊本城だが、大地震にも昔の建造物や石垣は結構強かったと言われている。
私は地震前に自衛隊の研修で熊本城を丹念に見学したし、古地図ももっていた。
清正公は名大の設計家、建築家であったことに間違いない。日本の建築技術を上記の城の例に見るまでもなく大変高い水準にあったことを現物が証明している。

日本全国、どこに行っても城の見学はかかさない。何かしら歴史の新しい発見がある。

(この項以上)

小林 芳春著 「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く

小和田 哲夫・宇田川 武久監修
黎明書房

外国の古戦場を歩くと、隣接する博物館売店で発掘された弾丸を販売している。米国南北戦争古戦場ではミニエ弾丸が1発500円ほどだった。形の崩れてない、線条がはっきりしているものを幾つか求めたことがある。日本前装銃協会の会員であったA氏は、40年ほど前、家族と会津若松城に観光し、城から攻めての方角と射程を計算し、一日で10数発の様々な弾丸を発掘してきた。現在、城周囲は開発が進みそういうことは無理だろう。
小林 芳春氏は日本銃砲史学会会員であり、長篠・設楽原古戦場の大地主の一人であり、自分の土地で見つけた当時の弾丸のことを何回か史学会例会で発表したことがあった。残念ながら発掘された弾丸の数は多くはなかったと記憶している。
小和田 哲男氏は早稲田大学文学部博士課程修了、現静岡大学名誉教授の歴史学者である。
宇田川 武久氏は国立民族博物館名誉教授、博士、歴史学者、日本銃砲史学会理事長であり、数多くの鉄炮伝来、鉄炮に関する著作がある。
3年ほど前、史学会の例会、見学会で長篠・設楽原に30名ほどの会員が訪れ、資料館で様々な弾丸を見学した。
この本に設楽原出土17発、長篠城址出土30発の仔細な写真が掲載されている。設楽原の出土は、見学に来て説明を終えたばかりの子供が外に出て、すぐに発見したものであるというストリーがあった。
この本の注目すべき記載は発見された弾丸の材料研究から、弾丸の材料の鉛は中国、タイなどアジアのものであったとの事実だ。
現在の弾丸は鉛のみでなく、その周りを披甲してある。狩猟などで威力を増すためには先端だけ鉛をだす。
長篠・設楽原の戦闘の歴史的背景と重要性はいまさら語るまでもないが、本では仔細に期されており、小和田、宇田川両博士の歴史研究のコラムも興味深い題材が多く包含されている。

筆者の射撃経験では銃は弾丸が目標に命中しなければ効果はない。
これは今も昔も同じである。長篠の戦場を観察するに馬防柵から今も当時も田圃であった武田軍が多く倒れた地帯までの距離は短い。
恐らく多くの弾丸は目標に命中し、壊れてしまったのであろう。
長距離の打ち合いでは目標に命中しなかった弾丸の多くはエネルギーを失いながらも柔らかい土中に入り、形状を保っていたのではないか。これが計算によれば3万発以上も発射された弾丸の残存率が少ない原因と考えるが。
この書籍は専門家の編集による多くの情報を含んだ、読みやすい優れた著述である。
以上(須川 薫雄記)

伊川 健二著「世界史のなかの天正遣欧使節」吉川弘文館

16世紀末の世界はキリスト教の布教、イエズス会が世界各地に活動を広げており、特に欧州では日本布教に関心が高かった。
また経済的にはポルトガルを中心にした大公開時代が、欧州の他国にも広がり、オランダ、英国、スペインなどが世界中に活動を広げ、世界、その中の日本史大きな転換期を迎えていた。
伊川 健二氏は東京大学卒、文学博士であり、現在は早稲田大学に籍を置き、日本銃砲史学会会員である。近年、ロンドンに滞在しこのテーマの研究を、そして「大航海時代の東アジア」とはじめ、この時代に関する多くの著作がある権威である。(日本銃砲史学会例会においても鉄砲伝来の一考察を発表した)、
15-16世紀の航海事情を考えるにこの時代の欧州人のエネルギーは我々日本人にも大きなインパクトを与えその実績の統一、安定しつつあった日本に与えた数々の影響は多くの学者の興味をそそったが、伊川博士の研究活動を日欧両方から俯瞰しているところに特徴があると伝えている。
つまり天正12年(1582)長崎を発った4人の日本人若者たちが長い航海の末、欧州に到達し、法王への謁見、様々な国々の多くの当時の指導層に与えた印象と影響を具体的に調べた、気の遠くなるような研究の成果である。
彼らが長崎、マカオ、マラッカ、コーチン、そして喜望峰を回り、セントヘレナ、そしてリスボンに到達したことは、日本に来ていたイエズ会とキリシタン大名の後押しがあったとは言え、欧州に到達した初めてのキリスト教日本人正史であったからだ。
伊川博士は彼らが訪れた各地の当時の記録や遺跡を丹念に調査しそれらから、欧州で日本がどうとられていたか、マルコ・ポーロの「東方見聞録」のある面では事実、他面誤解の解消にどのように貢献し、彼らの明かに欧州人と異なる容貌などの記述を細かに拾ってきている。
現在の日本のキリスト教徒はわずか1%、近代国家のなかでは極端に少ない。自分で教会に行く、説教を、聖書の説明を聞く、聖歌を歌う、これなら、「プリーチャー」として俺のほうが上手に話せるし歌えると思うほどのお粗末さも経験してる。(プロテスタントだが)
現在の「世界における日本」、その奇妙で特殊な安定はもしかしたら、天正の青年使節が日本に戻ってからの近世のキリシタン禁制の400年間の結果であったのか?という認識を与えてくれた名著である。
伊川博士のもう一度書くが、気の遠くなるようなご努力と詳細な研究結果に敬意を表し、失礼ながら将来の「文化勲章」の「欲」をお持ちになって欲しい作品だ。
(以上、須川 薫雄記)

西南戦争の考古学的研究

書名:西南戦争の考古学的研究
著者:高橋信武(日本銃砲史学会会員)
出版社:吉川弘文館
定価:(本体13,000円+税)

内容:鹿児島を中心とする不平士族が起こした国内最後の内戦・西南戦争を取り上げ、これまで、文字資料を中心に研究されてきたその実態を考古学的に探究した初めての書である。
九州各地の戦跡を踏査し、小銃・弾薬などの遺物や陣地の遺構、塹壕跡などから両軍の兵力・装備を追究した内容になっている。
豊富な図表を駆使して、戦闘の推移や武器の技術進歩を明らかにしており、特に西南戦争中に使われた弾薬類や火箭について詳しく書かれており、弾丸や薬莢の研究には興味がわく。(栗原記)