「十 手」―破邪顕正の捕物道具―

書評 谷口 柳造著 「目の眼」社刊 
本体価格¥2,800- A4判カラー200ページ

谷口氏は本格的な骨董商であり、骨董全般に博学であるが、長いこと
名和 弓雄先生のもと捕縛術を研究してきた方である。
十手、捕物道具の収集家として高名で、この本の執筆にはおよそ
30年間を掛けたと巷では言われており、現在第二作を執筆中である。

日本の捕縛(逮捕術)には世界にない一つの大きな特徴がある。
それは容疑者、被疑者を殺さずに逮捕する概念で、これは現在にも
生きていると思われる。
例えば米国では拳銃を出せば、警官は直ぐに自分の拳銃を発射する。
多くの場合は拳銃、もしくはらしきモノを出してだけで射殺される
確立は高い。日本警察の方針は「成るべく殺さず対処して、取り調べ、
裁判に掛ける」である。
この伝統は日本の捕物用具は工夫されており、更にその種のものは
さす又など今でも使われている事実でも生きている。

十手は武器としては「打ち物」と呼ばれる種類で、なるべく相手に深刻なる危害を与えず、刃物などを打ち落とすが目的だが、持主の所属や身分を示す道具でもあった。
実物を手に持ってみるとそのバランスの良さ、頑丈な造りに感銘を受けるほどだ。
この本は各種の十手を、身分、地域、制度などで分類し、詳細な写真を中心に説明がある。
さらに万力鎖、房(身分を表す)、鉤縄、手錠、鍵などの写真も綺麗だ。
十手は昭和初期まで使われていた。だが、贋作も多い。
この本のような綺麗で、詳細な写真を見れば贋作は明らかだが、谷口氏は贋作の多くは本体と柄が溶接されたもので、実物は 柄と本体は別で、組み込まれていると語っていた。

さらに、同氏のお話によれば捕物具は、袖がらみ、さす又など長物も、刃物を持ち暴れる危険人物を遠くから押さえるもので、捕縛、逮捕を目的とするものだ。
その目的に同心は目つぶし(砂やトウガラシ、その他刺激物を混ぜた粉末)とそれを吹く道具、小型の短筒を所持してと言う。短筒は短く、二個の早合を羽織りの紐に掛けていたと。丸玉ではなく、上記のような目つぶしの粉を武器を所持する危険者の眼に発射したと。
「殺さず捕まえる」方針が一貫されていた。
現在の警察官拳銃にもそのような弾薬があれば便利だが。

十手は便利で使い易い打ち物ではあるが、その使用には、簡単な道具ほど、十分な訓練が必要の鉄則は当てはまろう。
(以上)

『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』

加唐亜紀著
A4変形 192頁 西東社 925円+税

オールカラー。古代から西南戦争まで、70の合戦を時系列に並べ、600点を超えるCG、イラストなどともに紹介する。火縄銃や、大砲を使用した合戦も取り上げている。
全国の書店でご購入できます。ない場合は注文してください。

僕の狩猟 

平成30年12月

はじめに)

ハンティングはスピリチュアルなスポーツだ。
大げさに言うなら、個人としての能力をワンシーンでどこまで発揮できるかだ。
山荘の横には「山の神」を祀った小さな神社がある。
何か伝統的な地域の精神に触れるような気がする。
僕が銃砲所持許可、狩猟免状をもつようになり、そろそろ40年が経つ。
先日、散弾銃の更新を申し込んできた。
その時に記入する書類に過去の銃歴があったが、それによれば散弾銃はすでに
3挺、空気銃を2挺、返納していた。
現在はライフル銃1挺と散弾銃1挺の体制だ。

狩猟免状では比較的早くから網・ワナ猟を取得した。
この40年間、日本国内での狩猟内容も随分変化したが、2度目の米国勤務の
10年間は米国で狩猟した経験があることが想起される。
この経験は日本と米国の銃砲管理と自然に関わる重要なテーマに多くの知識を
得るきっかけとなった。

僕の現在の狩猟)

福島県の山荘が拠点であり、そこに置いてある28年前のジムニーが主な足だ。
銃はライフル銃、ザウエル(win270)7㎜カスタム、ツアィス12倍スコープ付と散弾銃、上下2連、12番ミロクカスタム、スキート銃身。
ライフルはイノシシ猟、散弾は雉、山鳥、キジ鳩、その他駆除対象に使用する。
狩場は山荘から10km内外の山林・原野と耕作放棄地。
犬は使わない。
単独行動の猟だ。巻き狩りもしない。
だが地元の人たちの応援を得ている。ガイドにはかっては空挺隊
出身のYさん、現在は隣のKさんだ。サバキもお願いしていた。
いずれからも付近の様々な情報を得ている。
現在は携帯電話で近くに住む人達からその場その時で情報が得られるので便利だ。

今年の狩猟)

今年はエポックメーキングな年となった。
自分のスタイルが出来た。
Kさんの具合が悪く、一人でスポットを回り、自分で獲物を見つけ、仕留め、
運び、サバイたことだ。無論、調理もした。
狩猟開始から3日目にイノシシ1頭、4日目に1頭目、そして5日目に3頭目を仕留めた。
その間にも毎日、鳥類は複数仕留めた。
午後、鳥類、午後遅くイノシシと時間が分かれるのは効率が良い。

イノシシ猟)

犬を使わず、単独でよくできると言われるが、イノシシが出てくるところ、
時間を推定するのが「技」だと感じる。
また、狩場のご近所や地主の方々とは普段よりの緊密なコミュニケーションが
重要だ。獲物の一部をお分けすることもある。
狩場は自分で設定、例えば「社長の谷」「炭焼ガ原」とか呼び名も付ける。
同じところには連続して行かず周期を保ち、回る。
「社長の谷」はおよそ奥行き1kmの上り勾配の耕作放棄地で牧草の叢だ。
谷の入り口手前に、「社長」と言う方が住んでいて、この社長の先祖が開拓した田だった。現在も家族が大規模に居住している。
田には軽トラが入れる農道があり、谷を見渡すように林道が平行している。
林道を上がり時々下を見る。上がり切り、方向転換して降りてくる。
双眼鏡で慎重に獣の山からの出口付近を観察する。

これを繰り返すと、いつの間にか、すでに暗くなってきた山からイノシシが
出ている。見つけるとそっと降りて、車はエンジンを掛け、ドアも開いたまま
にして、道路を外れ、上から狙う。距離は50m-70mくらいだ。
仕留めたら、農道に回り回収する。こんな手順だ。
見つけた目標は大体、数頭連れですべてがメスであろう。オスは離れている。
あまり大きな目標は撃たない。一人では運搬できないからだ。
子を産んでないメス、体重50㎏くらい、全長90cmくらいを狙う。
ライフル銃には4発装填できるが今までワンチャンスで2発発射して2頭倒したことは一度しかない。
イノシシは天気が悪く、雲が厚い状態では昼過ぎから出てくる。
この時はタイミングが重要だ。
スポットとタイミングを察知するのはいわゆる「勘」だ。

キジ猟)

イノシシ猟が11月中旬、午後4時くらいとすると、午後2時ころから耕作放棄地、と周辺が見える原を車で走る。ここはいるなと思うと、車を止め、徒歩で
散弾銃をもち降りて行く。キジも山鳥もオスが一羽いると周辺にメスが数羽はいることが多い。開けたところでないと、回収が難しくなるので、場所選びが
重要だ。
オスは高い枯草の中かれ出て、ひとりで地面を突いている。
本当は稲刈が済んだ田圃が最適だ。

大きなオスは大体1kg、全長が80㎝ある。
この山のキジは本当の日本雉で羽がとても綺麗だ。毛バリを作る材料にする。
3号弾を下に5号弾を上に装填する。

その他の有害鳥獣)

カラスは非常に難しい。銃を見つけるとすぐに射程外に飛ぶ。
これは自分の敷地で落としたものだ。

以前は渓流釣りの敵、鵜を撃ったことがある。
だが川で撃つのは非常に困難だ。水平撃ちになるし、岩が多い。
山の中のもとは養殖場であった古池のそばでたたずんでいた時に偶然、降下してきたものを仕留めたことがある。3号弾だった。
獣、外来のハクビシン、アライグマ、それになじみのあるタヌキ、テン、アナグマ、見たことはないが、モモンガもいる。
近くの草むらには鼠の穴が多くみられるので猛禽類も来る。
アナグマは、敷地を未明から明け方にかけてうろついている。
イノシシの臓物やカラスなどは片付けてくれる。現在、アナグマは捕まえない
方針だ。

アナグマが庭につけた獣道、落ちたマメ柿を食べにくる。
隣で掛かった、テン、農作物を荒らしにくる。

ワナ免許はどうつかうか)

一つは箱罠で獣を捕まえる。以前はトラバサミが効果的だったが、獣の数は
10年前に比較するとかなり増えている。
主な原因は人間の数が半分くらいに減ったことだ。
道路の整備で曲がりくねった以前の道路が閉鎖され、獣の拠点になっている。
暗渠が整備され、それを伝い、人家の近くまで出やすい。
もうひとつはイノシシのくくり罠だ。
これは地元の協力がなければ実施できない。今年は登録したが、Kさんが
ダウンしたので、掛けることはなかった。
気温の低い山中なので、真冬には氷ついて効かないこともある。
以前はかかったイノシシは村田銃で仕留めたが。

さばき)

T君撮影、今年は初めて同君に手伝ってもらい自分で解体した。
イノシシの場合、体重が40kgだとすると大体半分の肉は取れる。しかし自分でやってみるとなかなか厳しい作業で、中腰のまま4時間くらいかかった。
敷地ないに渓流があるので、このパレットで解体するが、残りは深いところに
沈め、上にパレットを被せて置く。結局は3日かかりだった。
冬の渓流でも水量にすれば水道2-30本分は流れている。水がないと解体は
難しい。
僕の作業では肉は20kg弱しか取れなかった。
鳥類は毛をむしり手羽、足、尾羽、頭、内臓を取っても8割ほどが食べられる。
料理は和風にしても飽きるので、洋風、ジビエにしてワインを飲むのが
楽しい。

課題と反省)

とにかく今の日本での狩猟は安全が第一だ。
事故を起こしたら、全てジ・エンドとなる。
狩猟解禁は11月15日、このころ地域は大変忙しい。
予想もつかないような作業が山中で進んでいる。
山林整備、農地整備、道路工事、測量、観測など、すでに山菜やキノコ採りは終わっているが多くの人が山に入っている。12月-2月は作業の効率が悪くなるので、この時期に集中するのだ。普段閉じている空き家にも連休には人が来る。
山に人がいるかいないかは、道路わきの車で推察する。

一番、後悔するのは鳥類を撃ち回収できないことだ。
犬がおれば問題ないが、藪の中でもバタバタしておれば良いが、鳥は手負いに
なってもとんでもないところに静かに隠れる。そうなるとお手上げだ。
探しに行って、藪の中で漆系の樹木に触り、顔がカブレたこともあった。
イノシシでは土手にいた手ごろな目標を撃った。勿論命中した。
脚が揃い、土手をゴロン、ゴロンと二転がりして、見えなくなった。
渓流に落ちてそのまま流されて行方不明になってしまった。残念なことを
したが、なまじ水中から回収しようとしたら危険だったかもしれない。
狩猟中は必ず偏光のゴーグルを着用するようにしている。
当然、蛍光の猟友会ウエアも着る。

1週間、毎日出猟すると段々自分でも動作が荒くなると感じることがある。
その時は焦らず1-2日休むのが良い。
分かっているがなかなか出来ない。

狩猟の安全には地形の熟知が必要だ。
その点、僕のように30年間、同じ拠点を持ち、地元の人々と交流のあるのは
理想的と言ってもよい。
しかしライフル銃と散弾銃、2挺を持ち猟場に出て、しかも法令を遵守して理想的な猟をすると言うのはかなり難しいことだ。
犬は猟師の友だが、年に10日くらい役にたち、あとの355日を東京の家で
飼うのは無理だ。猟犬は当たりはずれがあり、他人にはなつかない。
米国でマルソンとキジ打ちに行ったときは彼の友人が犬を連れて同行した。

狩猟はアウトドアスポーツの頂点であると感じる。
狩猟民族(日本人の13%がDNAを持つと言われている。る)としての勘が研ぎ澄まされ、それに自然環境の知識、最高の銃とギア(装備)が要求される。
それに自然に社会に対する責任もある。
だが、現状、不特定多数の人々が参加できない。
シーズンが終われば多分お神酒と獲物の心臓を携え「山の神」にお礼に
行くのがまっとうなる現代のマタギの習わしであろう。
(終わり)

平成30年日本の安全保障を考える 「安全保障研究会講義議論」より

はじめに)
現況の国際情勢を見回せば日本人ほど呑気な国民はいないだろう。
安倍内閣は世界の現状をかなり意識している。日米安全保障の枠組みを変え、有事を想定し、
多くはないが国防費を増額し、新しい兵器を導入しつつある。
一方、安倍氏自身、河野外相を起用し、2人で各々目的をもち世界各地を訪れては外交に
誠心している。しかし外国勢力の影響を受けた野党のサボタージュのよる遅延は大きい。
私は、「本年(平成30年)を第三次世界大戦の始まりの年」と定義した。
勿論、第一次大戦の塹壕戦、第二次大戦の海戦、空戦、都市空爆、核兵器使用などとは異なる形であり、世界がふたつに分かれる構造でもない。
兵器は各段に発達し、宇宙、サイバー、生物化学、テロリズムなどの多様な形式の戦争だが、全世界を巻き込むだろう。歴史はのちに2018年を私が言うように定義するだろう。一方冷戦期を含め、米国以外に本格的に戦争をした経験をもつ軍隊がある国も稀である。つまり多くの人類は戦闘経験がないのだ。
第三次世界大戦の怖さは敵の顔が見えない。核や大量破壊兵器が使われる。敵と同盟が入り混じる。
この3点に尽きるのではないか。
幸い我日本国は過去数十年間、所謂左翼の平和憲法下で、防衛型戦略で
もって戦闘する「独自防衛兵器」に特化してきた。
そのひとつが警戒監視、哨戒、潜水艦などだ。改造すれば使える空母も用意した。石破が攻撃力のあるF-2
戦闘機の生産を打ち切った決定をしたには残念だが。

1、国際情勢急激な変化と日本の関係
幾つかある世界の危機を整理すると、以下のようになろう。

① EUの不安定化
② 米国独自の方向を堅持、特にトランプ大統領の個性に振り回されている
③ 中東におけるロシア、トルコの対立
④ 朝鮮半島核装備
⑤ イスラエルの危機、核を使用する可能性増大
⑥ イスラム勢力の台頭とイラン核装備
⑦ アフリカ諸国の無政府化
⑧ 中国の海洋進出による米日連合軍との太平洋戦争
⑨ 難民増加による世界全体の社会不安
⑩ 国連解体(国連と言う名称は第二次世界大戦勝利国のユナイテッドネイションズが正しいが)

などである。

2、日本における危険
朝鮮半島が核を保持したまま統一する。南5000万人、北2500万、北の背後には満州の朝鮮族2000万人(人民解放軍だが、1950年朝鮮戦争のように北に加担する)
合計1億人近い、巨大な「反日国家」が出現する。
この存在は中国にも、ロシアにも恐怖だから矛先は主に日本国に向けられる。
日本国と中国・朝鮮間の領土問題は1957年、世界150カ国近くが署名したサンフランシスコ条約で解消していると日米は考えているが、そうではない。
中国は国共内戦、朝鮮は大日本帝国の一部と言う理由・解釈で彼らは参加できなったのだ。

だから、尖閣、竹島の領有をかたくなに主張している。また中国に至ってはヤルタ協定(蒋介石は出てなかったが)で沖縄は中国領にと言う米国ルーズベルト大統領の発言を故意に了解している可能性もある。現在、沖縄は日米の協力軍事基地があり、彼らには手はでない。
それにロシアとの北方4島は永遠に日本には戻らない。
日米は成るべく手の内を知られたくないが、先日の領海侵入した中国潜水艦に対する自衛隊のアクティブソナー攻撃が示している危険性など、海空の偶発的衝突は恐ろしい。

3、米朝会談の危険性
2018年6月の米朝会談の結果にはいくつか推定できるが、どれに転んでも
日本には大きな影響を与えるだろう。

① トランプ大統領が朝鮮戦争終結平和条約を締結することにより南北統一が行われる可能性。
② 会談が破棄もしくは一致に至らず、北は中国の支援を受けたまま核を保有する危険性。
③ 米国が北に軍事行動を起こす。(すでに2月、日本海に原子力空母3隻、ステルス爆撃機が北領上を飛行、攻撃一歩手前であったが)

どの場合も日本国には北のノドン、スカッドなど、小型核搭載可能ミサイル攻撃を日本国内米軍基地的に受ける。
当然基地の周りには数十年間に工場、民家が立て込んでいて日本人も大きな被害を受ける。ミサイルが目標をはずれ関係のない都市部に飛んでくる可能性もある。
これらに対する3段階のミサイル防衛計画はまだ十分に現在の状況では整ってない。(統合幕僚長の講話)、日本独自のミサイル開発、配備には兵器の通例として10年間かかる。

4、それだけでは済まない問題

膨大な数の武装難民が日本国土に押し寄せる。その排除というか対策もたってない状況で本来、海保、警察任務だが対応できないから自衛隊も担務することになろう。現在の規模の人員ではとても足らぬ。
ロシアは国境線に多くの機銃、弾薬を配備しすでに準備完了だそうだ。
難民はすでに日本国内にさまざまな形で侵入している勢力と呼応してゲリラコマンドーを組織し、左翼を利用し
反乱を起こす。仮革命政府が成立して要請すれば、ロシア、中国の日本への攻撃も可能である。
だから第三次世界大戦になるのだ。

5、中華人民共和国の太平洋戦争
中国は明の時代に支配していたと称する南シナ海をすでに制覇した。
周辺諸国には対抗する軍事力はない。すでに南太平洋の島国国家にまで手は伸びた。
いずれ近く、米国と衝突するだろう。
現在の中国人民解放軍海軍は、とても米国の敵にはならないが、彼らのここ数年の拡大をみていると
馬鹿にはできない。日本国の自衛隊も巻き込まれるだろう。

6、地球の反対側の危機
新クリミア戦争勃発、イスラム共同国対イスラエルの戦争は宿命的なもので今度は第7次となる。中東情勢はさらに複雑だ。ロシアがシリアを援助しすでにシリア国内ではイスラエル対イランの戦闘は始まっている。イランの背後にはトルコとロシアがあるが、この両国も対立しており、敵・味方関係は複雑だ。ロシアはいつの間にか米国にかわり鍵となった。日本国民は遠いところのこと、エネルギーはどうにかなる、と深い関心はない。

7、国家の主権とは
言うまでもなく国家の主権は「領土、国民の生命財産の保全」である。それを基礎に憲法で
保障された人権は存在するのだ。
果たして日本国は国家の主権を保持できるか。大変難しい状況にあることをまずは国民が理解し、国会を
3週間も休会状態にした問題とはその重要度は比較にならぬ。
日本国メディアは多くが左翼に握られているから国民は国内の砂と世界の岩石の差がつかない。

8、笊のような国日本
第三国人問題、侵入ゲリラ推定一万人、テロリズムの余地は大きい。いつ何時何が起こってもおかしくない。
脱北の工作員を使った調査ではテロの原点は「大手町」から始まる。前に東京駅、後ろに皇居、そして主要
金融機関の本社、地下鉄のトンネルを走れば霞が関、最高裁、国会へは車より早い。このようなゲリコマが起これば
膨大な犠牲がでる。(地下鉄サリン事件25年前で実証すみだ)
私は過去10年間にわたり、防衛省モニター、市ヶ谷駐屯地モニター、東部方面隊オピニオンリーダー、土浦駐屯地モニター、武器学校資料館アドバイザーと日本国自衛隊に協力し、日本全国の駐屯地や基地を見学する機会を得て、様々な文章をこのHP、各方面に記述し、現況の日本国への危険性は一般国民より実感しているつもりである。

おわりに)
日本は米国に裏切られない限りの安全保障と、裏切っての安全保障の二つの道がある。
粛々と独自の軍備を増強し、国民の国防意識を高めるしか手はない。
米国を裏切れば、まずは日本共産党書記長粛清にはじまり多くの判断能力に優れた順番に国民が殺される。
世界はブロック化、また主要国での全体主義化が深く、静かに進行している。
日本国は国家をしての信念を持ち、強い指導力、外交力と独自の軍備力増強に励まなければならないと年頭より強く感じていた。さてこれからどうなるか?
(以上)

「趣味どきっお城へ行こう」NHKテレビテキスト

千田 嘉博監修/著
2016年2-3月

なぜ私の手元に送られてきたのか、NHKの人が講演に来た時に名刺交換したかご本人の講演を聴いたのか?千田さんの名刺が入っていた。

テレビ番組をムック版のきちんと編集した本になっている。サイズは24x30cm、127pオールカラーだ。 番組取材で撮影した豊富な資料、現在の写真、古画、図面、古図面、見取り、イラスト、展示物などで各々の城を説明が内容であるが、特に興味深いのは城の歴史である。
堀をほり、石を積み込み、門を作り、天守までの工程だ。

出てくる城は、この本が大河ドラマ「真田 幸村」にちなんだものなので上田、松代、小田原、安土、彦根、姫路、名古屋、大阪城の真田丸などだ。

タイミングよく国宝姫路城の平成の改修が終わったばかり、昔の白が映える漆喰の壁。
また彦根城の大堀切り、桝形門、そして上りの石垣などが印象に残る。

日本の城は何のためにあったのか?どれだけ現存しているのか?
それらは時代により異なるだろう。戦国期の山城から近世の城下町つくりの経済活動の中心、目的が違うからだ。

この号にはないが、城と言えば加藤 清正と熊本城だが、大地震にも昔の建造物や石垣は結構強かったと言われている。
私は地震前に自衛隊の研修で熊本城を丹念に見学したし、古地図ももっていた。
清正公は名大の設計家、建築家であったことに間違いない。日本の建築技術を上記の城の例に見るまでもなく大変高い水準にあったことを現物が証明している。

日本全国、どこに行っても城の見学はかかさない。何かしら歴史の新しい発見がある。

(この項以上)

小林 芳春著 「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く

小和田 哲夫・宇田川 武久監修
黎明書房

外国の古戦場を歩くと、隣接する博物館売店で発掘された弾丸を販売している。米国南北戦争古戦場ではミニエ弾丸が1発500円ほどだった。形の崩れてない、線条がはっきりしているものを幾つか求めたことがある。日本前装銃協会の会員であったA氏は、40年ほど前、家族と会津若松城に観光し、城から攻めての方角と射程を計算し、一日で10数発の様々な弾丸を発掘してきた。現在、城周囲は開発が進みそういうことは無理だろう。
小林 芳春氏は日本銃砲史学会会員であり、長篠・設楽原古戦場の大地主の一人であり、自分の土地で見つけた当時の弾丸のことを何回か史学会例会で発表したことがあった。残念ながら発掘された弾丸の数は多くはなかったと記憶している。
小和田 哲男氏は早稲田大学文学部博士課程修了、現静岡大学名誉教授の歴史学者である。
宇田川 武久氏は国立民族博物館名誉教授、博士、歴史学者、日本銃砲史学会理事長であり、数多くの鉄炮伝来、鉄炮に関する著作がある。
3年ほど前、史学会の例会、見学会で長篠・設楽原に30名ほどの会員が訪れ、資料館で様々な弾丸を見学した。
この本に設楽原出土17発、長篠城址出土30発の仔細な写真が掲載されている。設楽原の出土は、見学に来て説明を終えたばかりの子供が外に出て、すぐに発見したものであるというストリーがあった。
この本の注目すべき記載は発見された弾丸の材料研究から、弾丸の材料の鉛は中国、タイなどアジアのものであったとの事実だ。
現在の弾丸は鉛のみでなく、その周りを披甲してある。狩猟などで威力を増すためには先端だけ鉛をだす。
長篠・設楽原の戦闘の歴史的背景と重要性はいまさら語るまでもないが、本では仔細に期されており、小和田、宇田川両博士の歴史研究のコラムも興味深い題材が多く包含されている。

筆者の射撃経験では銃は弾丸が目標に命中しなければ効果はない。
これは今も昔も同じである。長篠の戦場を観察するに馬防柵から今も当時も田圃であった武田軍が多く倒れた地帯までの距離は短い。
恐らく多くの弾丸は目標に命中し、壊れてしまったのであろう。
長距離の打ち合いでは目標に命中しなかった弾丸の多くはエネルギーを失いながらも柔らかい土中に入り、形状を保っていたのではないか。これが計算によれば3万発以上も発射された弾丸の残存率が少ない原因と考えるが。
この書籍は専門家の編集による多くの情報を含んだ、読みやすい優れた著述である。
以上(須川 薫雄記)

伊川 健二著「世界史のなかの天正遣欧使節」吉川弘文館

16世紀末の世界はキリスト教の布教、イエズス会が世界各地に活動を広げており、特に欧州では日本布教に関心が高かった。
また経済的にはポルトガルを中心にした大公開時代が、欧州の他国にも広がり、オランダ、英国、スペインなどが世界中に活動を広げ、世界、その中の日本史大きな転換期を迎えていた。
伊川 健二氏は東京大学卒、文学博士であり、現在は早稲田大学に籍を置き、日本銃砲史学会会員である。近年、ロンドンに滞在しこのテーマの研究を、そして「大航海時代の東アジア」とはじめ、この時代に関する多くの著作がある権威である。(日本銃砲史学会例会においても鉄砲伝来の一考察を発表した)、
15-16世紀の航海事情を考えるにこの時代の欧州人のエネルギーは我々日本人にも大きなインパクトを与えその実績の統一、安定しつつあった日本に与えた数々の影響は多くの学者の興味をそそったが、伊川博士の研究活動を日欧両方から俯瞰しているところに特徴があると伝えている。
つまり天正12年(1582)長崎を発った4人の日本人若者たちが長い航海の末、欧州に到達し、法王への謁見、様々な国々の多くの当時の指導層に与えた印象と影響を具体的に調べた、気の遠くなるような研究の成果である。
彼らが長崎、マカオ、マラッカ、コーチン、そして喜望峰を回り、セントヘレナ、そしてリスボンに到達したことは、日本に来ていたイエズ会とキリシタン大名の後押しがあったとは言え、欧州に到達した初めてのキリスト教日本人正史であったからだ。
伊川博士は彼らが訪れた各地の当時の記録や遺跡を丹念に調査しそれらから、欧州で日本がどうとられていたか、マルコ・ポーロの「東方見聞録」のある面では事実、他面誤解の解消にどのように貢献し、彼らの明かに欧州人と異なる容貌などの記述を細かに拾ってきている。
現在の日本のキリスト教徒はわずか1%、近代国家のなかでは極端に少ない。自分で教会に行く、説教を、聖書の説明を聞く、聖歌を歌う、これなら、「プリーチャー」として俺のほうが上手に話せるし歌えると思うほどのお粗末さも経験してる。(プロテスタントだが)
現在の「世界における日本」、その奇妙で特殊な安定はもしかしたら、天正の青年使節が日本に戻ってからの近世のキリシタン禁制の400年間の結果であったのか?という認識を与えてくれた名著である。
伊川博士のもう一度書くが、気の遠くなるようなご努力と詳細な研究結果に敬意を表し、失礼ながら将来の「文化勲章」の「欲」をお持ちになって欲しい作品だ。
(以上、須川 薫雄記)

西南戦争の考古学的研究

書名:西南戦争の考古学的研究
著者:高橋信武(日本銃砲史学会会員)
出版社:吉川弘文館
定価:(本体13,000円+税)

内容:鹿児島を中心とする不平士族が起こした国内最後の内戦・西南戦争を取り上げ、これまで、文字資料を中心に研究されてきたその実態を考古学的に探究した初めての書である。
九州各地の戦跡を踏査し、小銃・弾薬などの遺物や陣地の遺構、塹壕跡などから両軍の兵力・装備を追究した内容になっている。
豊富な図表を駆使して、戦闘の推移や武器の技術進歩を明らかにしており、特に西南戦争中に使われた弾薬類や火箭について詳しく書かれており、弾丸や薬莢の研究には興味がわく。(栗原記)

海上自衛隊厚木基地研修(防衛懇話会)

平成29年5月20日実施
防衛懇話会 会員 須川 薫雄(しげお)
防衛懇話会の研修)
防衛懇話会は防衛企業が構成する自衛隊をより認識するための組織で会員はほとんどが
法人だ。会長今井 均氏、丸の内日本工業倶楽部に事務局がある。私は個人会員で市ヶ谷駐屯地の推薦を受け12年前に入会した。
観閲式、富士火器演習、音楽祭りなど自衛隊の主なるイベントのほかに年に数回、陸・海・空、在日米軍基地などの訪問が計画されている。
今回の厚木基地訪問もそのひとつであった。厚木基地は在日米軍との共同運航地だが、研修は自衛隊の部分だけだった。日米の管理地域面積は約半々。
主たる目的は日本の警戒監視活動に無くてはならない、哨戒機運用と新型機材P1機、
在来機P3Cであった。

 

 

今回はこの機材P3Cは任務中で見学せず。推定7-80機が運航中 日本の警戒監視、およびある程度の攻撃能力もある重要なる存在、

海上自衛隊の対応と会員の反応)
今回の参加者は普段の約倍の45名であったので、後に述べる各部門研修は3-4のグループに分けての実施であった。全員を基地内の各部署に案内、全体の説明をするのは広報課、各研修はそれを担当している現場の隊員であった。対応に漏れはなく、大人数の参加者を上手に午前9時半の最寄り駅よりの集合から午後4時過ぎの解散までそつなく実施した。
在日米軍との共同基地なので、写真撮影は一切できず、また参加者の企業からは実際、自衛隊と付き合いのある人たち、研究、生産などを担当している社員より、内勤(総務など)の人々が多く、果たして研修の意義が重複されたかは疑問。
(私は陸自東部方面隊で、舞鶴、佐世保、岩国、横須賀は研修している。)
当日はUSSロナルド・レーガン空母から艦載機F/A18が飛来したので、基地内は緊張感と騒音と緊張感にあふれていた。なお写真撮影はほとんどの場所で禁止であった。
F/A18はいずれ岩国に移転するそうだ。西に重きを置いていく体制は日米共に同じだ。

うるさいこと。しかし実際に観察すると尾翼がすべてエレベーター、知っていたが実際にペラペラと動くさまは・・・

司令挨拶と基地概要)
まずは司令より歓迎の言葉があり、広報課長より同基地の歴史、概要、管理、運用などが設営された。特に滑走路と管制機構は日本側の役目であることなど。
基地自体の位置は横田、座間など近隣の重要基地との関係は不明だが、全周11km余の
中型である。海自と関係要員が約2,000人勤務している。米軍は家族を含み5,000人ほど。この基地の統括では硫黄島、南鳥島が含まれる。
第四航空団31飛行隊が、24時間体制で警戒監視飛行を実施しているが、太平洋側には飛んでない。意外だった。
第61航空隊は輸送任務にあたり、硫黄島などへの補給活動を行っている。
同基地は本州の中心に位置している。

良く見ると制服は海自が帝国海軍のものを踏襲し一番、洗練されている。
階級は16あるそうだ。なかなか競争が激しく大変だろう。

広報館の見学)
厚木基地は日本帝国時代の海軍飛行基地であり、首都防衛に重要な役目を負ったがこの広報館にはあまり見るべきものはなかった。零戦に3本搭載されていた酸素ボンベ(一本が約直系15㎝、全長40㎝ほど)の酸素が注入されたまま発見されたそうだ。米軍管理地のゴルフ場を探せば、零戦1機くらいは出てきそうだが。
海上自衛隊基地は資料館、広報館の充実度が佐世保を除き全般的に低い。

管制施設の見学)
どこに行っても管制は実際に行っているのを見学するので、こっちも気をつかう。
小グループにわけて、離陸、着陸、地上の動きを指令するアプロ―チコントロールとファイナルレーダー施設(エリア)の各々の施設を見学するが、内容は極秘なので省略。

この基地には海自の管制官の養成所があり、多くの学生が日夜、研修している。

昼食をとる。この日は金曜日なのでカレー。これにミルクがつく。

昼飯

P1川崎シュミレーター体験)
本体と設置に40億円の費用が掛かったそうだが、シュミレターほど航空機訓練の効率を上げたものはない。6本の太い脚、ジグザグに入っている箱型の機体が稼働するものと、
簡略型の2種がある。簡略型を体験させてもらう。
女性教官同乗のもと、厚木の滑走路を離陸し270度右旋回、高度は2000フィートほどで、海岸に向かう。
江の島と大島を臨む。スロットルはそのままでも速度、あまりにも遅いので、旋回の最中から少し操縦棹をおすと当然高度は下がる、高度を上げるためには操縦棹を引くと4000フィートまで数分。速度が遅いのだ。どうしてこのようにゆっくり飛べるのかが大きな疑問だった。
まずで双発プロペラ機を操縦している感じと考えて良い。映像は鮮明で、現実感がある。
海岸に達し、180度旋回をして厚木に戻る途中で時間がきたが、これを操作したのは
私だけだった。申し訳ないが他に希望者はいなかった。

現在、恐らく数十名もいないP1操縦士を数百名に増員するためには必要不可欠な装備品であることに間違いない。

地上救難隊の水を飛ばす)
この隊ほど、我々の見学に力を入れてくれたところは今まで初めてだ。隊員が重い防火服を
素早く地上から持ち上げ炎天下着用する。見学者をひとりひとり、長さ12mの大型消防車に載せ、ホースノズルを操作させる。相当に燃える機体に近づかなければならない。
化学消火剤は水にその場に応じて混ぜるそうだ。

 

 

救難ヘリ整備を見る)

第4航空団の救難ヘリSH-60Kの整備を見る。エンジン、ローター、後部など主要部品が外してあったので、機材の構造は理解できた。重厚な機体だ。
このヘリは舞鶴でタッチアンドゴー訓練を見たが、機体が大きく、双発なのでブラックホークなみの迫力があったことを覚えている。担当者は親切にも右も左も分からぬ我が一行に
丁寧に説明してくれた。

さて肝心のP1機は)

機長から機体性能に関しての説明を聞いてから、機体外部、機体内部(これは価値があった)
その他一時間半以上をかけて見学した。
すでに10機程度が川崎重工業で製造され運用されている純国産機だ。またその性能は公開されてない部分が多い。機長に質問した、「このような機体が低速で低空を飛行できる鍵は?」むにゃむにゃと説明はなかった。巡行速度も発表されてない。

だが、機体の内外を観察するに幾つかの他の機材との差を操縦者である筆者は気が付いた。
機体はP3Cと比較すると全ておよそ1.3倍の大きさ、性能である。例えば後続距離は8000kmとこの種の機体では驚異的と言ってよいだろう。さまざまな新しい工夫がみられる。
石川島播磨の開発の中型ターボファンエンジンも一つの鍵ではないか。

諸元、全長38m、スパン35.4mと観たところはフツーの機材だが、「低速で飛べる、失速しない」などが高度な技術であると思う。(シュミレーター操縦でも感じたが、操縦系統には光ファイバーを使い、ケーブルで物理的に動かすのではないので、力はいらない。
あらかじめインプットしたソフトが大いに助けてくれる。

大きなヘッドアップでスプレーがさらに操縦を贅沢にしている。シートの移動などは
下手な民間機より効率的。

乗員はP3Cと同じ操縦士2名、オペレーター11名で変わらない。
ソノブイは数十を3通りの落とし方、他ミサイル、爆雷等の攻撃力の取り扱いを実際行ってくれた。電子レンジで飯が食えると乗員は感激していたが、やはり軍用機はこういう環境整備は遅い。

遅く飛べる理由、これは聞いてはいけないことだった。P3Cの翼はほぼ横に出ているが、
P1は少し後退している。またフラップ、スロットなどの翼の能力を上げる仕組みも頑丈に
役に立つ造りだがステルス機のように目立つものではない。
これらとエンジンの組み合わせで揚力を上げているのではないか、と言うのが私の推察だが。
遅く飛べる理由はそんなところであろうが、日本の航空工学の知恵が結集されている。
潜水艦が相手の機材にはとても重要な要素だ。相手は海中で停止できるから。

将来、およそ100機程度が製造され、P3Cに交代する。

こんな機体も見たいと言ったら怒られた)
ふと横を見たら、これが置いてあった。「あれも見たいなー」と言ったら、案内の担当者に「岩国の所属だ」、と怒られた。

記事に使用の写真は海自のカタログより
(以上)

陸上自衛隊対馬駐屯地・警備隊研修

目的)

対馬と壱岐の島は朝鮮半島と日本国本土の間に位置し、古来、半島との往来に中継地として重要な役目を果たした。また日露戦争における日本海海戦は欧米では「ツシマ」と呼称されその戦略的な重要性は研究家の間で認識されている。
しかし、日本国において10番目の面積を持つ、かくも重要な位置を占めておりながら、本土の人々は観光・業務においても実際に訪れる機会は少ない。
有史以来の出来事、現状、そして有事の際の在り方これらを、日本の外交史、安全保障史を研究する自分が自ら目にして考える良い機会があり、防衛懇話会の第四師団、航空自衛隊春日基地研修の後、夕方の便で飛んだ。
久しぶりにプロペラのボンバルディ機だった。
お出迎えをいただきホテルに送っていただいた。空港、宿泊したホテル、駐屯地は各々15分くらいの山道を走る。
お出迎えいただいた警備隊のエス氏の先祖は江戸期、農作物への害獣、猪を島で絶滅したことで知られている。鉄砲鍛冶に鉄砲を造らせ、農民を使った。
なるほど、本で読んだが聞いてみて迫力があると感じた。私も先週、2頭仕留めましたと言う話を車中した。

1、 対馬の地形と現況

3週間ほど前、島民が家族ごと殺害され、家に放火された事件は解決してない。
島民はかっては6万人強であったが、現在は過疎化が進みその半分くらい。
地形はフランスバンの真ん中左を誰かがかじりとったような南北に延びる形。
標高650m島全体は台湾のように絶壁で、港は真ん中の部分と北側にあるものがかってより活動していた。
平地は少なく、農業はシイタケや果実を作る。漁業は盛んだ。観光は日本からより韓国から来る人間が多い。山も富洋なものではない。理由は分からないが観察するに土が少なく広葉落葉樹林が多いが木々の間隔は広く大きな樹木は少ない。従って林業は収入にならない山が大部分で北から南まで波のように広がっている。これは行って自分の目で観察しなければわからない。
対馬山猫など貴種な動物植物が多い。


島は一部を除き大体このような地形だ

2、 日本で2番目に小さいと言う駐屯地を訪問した。

翌朝は早く出た。お出迎えをいただき、司令にご挨拶。その後、土曜日にもかかわらず30名近くの幹部にお集まりいただき、私の講義を聴いていただいた。
題目は「近世から近代にかけての日本の海防」で、内容は19世紀、産業革命が進み兵器の発達した列強の日本への圧力、日本の外交、明治維新、その後75年間の軍の構成をパワーポイントの20ページの資料で話した。

隊員の皆さんと小松氏

終了後、直ぐ、今回の訪問の相手先となっていただいたT三佐のご案内、それに対馬防衛協会の小松氏が参加していただき、対馬が元寇以来たどった歴史の現場を見学、研修した。
氏より資料をいただき、歴史、過去のできごとを直接聞けた。

日本で2番目に小規模は駐屯地

3、 対馬の歴史的宿命

有史来、日本が半島との通商が始まったころから対馬はその中間点として地理的存在を活かした。
13世紀、「元寇」があり多くの島民が犠牲なった。
16世紀、豊臣氏の朝鮮半島への侵攻の中間基地となって、日本全国多くの藩の武士が通過した。
17世紀以降、徳川氏と朝鮮李朝の交流があった。
19世紀、日清、日露戦争の中間点となり、島の真ん中、現在の空港近くが掘削され島を回ることなく、艦艇が通過できるようになった。

赤い橋の下が運河

20世紀半ば、第二次大戦中は日本海に封鎖し敵艦が入らぬよう、北端に大砲台(使われなくなった戦艦の主砲を持ち上げたもの)と爆雷砲台が装備されていた。
その武装解除に来た米軍部隊にフランク・シナトラがいたそうだ。

戦艦主砲の台座あと

砲台の内部

岩に描かれた迷彩

小松氏のご説明でこの砲台の戦時中の様子が明確に理解できた。

4、 江戸期の対馬

宗氏が藩主となり主に交易による収入から碌を得ていた。朝鮮から江戸期「朝鮮通信使」と言う一行が宗氏の調整で何回か当来し、対馬は通過点となった。また宗氏は徳川幕府の朝鮮との外交と交易を役目として半島に居留地を得ていた。幕末、日本の海防のため大砲を持ち込もうとして、断られた。

5、 現代の対馬防衛

地政学的にはふたつの任務になろう。
一つは地理的に大陸、半島、沿海部の警戒監視活動で、陸、海、空の自衛隊がそれぞれ連携しながら警戒監視活動の施設をもっているが、多くは秘匿されているようだ。
総員、陸が400名弱、総数700名くらいだ。陸は駐屯地と警備に分けている
日本と韓国の間には軍事協定は結ばれてない。対馬に大きな兵力を置くことは韓国を刺激することになる。しかしながら半島有事が発生すると、日米の双方の防衛線になることは予想できよう。そうでなくても北の核、ミサイル問題の最前線となる位置だ。

 

6、 これからの日本に安全保障での役割

一番恐れることは誰も口には出さないが、「半島有事」であろう。対馬はその混乱の影響はもろに受けよう。
米軍との統合作戦にも対馬は重要な役目を負うだろう。現在では制空、制海はすでに作戦中の艦艇と本土基地から数分でスクランブルが行える。島の部隊にも多目的誘導弾の装備があろうし、状況によっては増強できる。
現在の紛争で困るのは「難民問題」だ。韓国からは30km、泳いでは無理だが小型船で十分だ。それに北からもどんな形にしても武装した難民の来島が予測できる。しかし島の地形を見るにそれらの人間全部の収容は無理だ。
海峡の真ん中に位置するしまの宿命は今も昔も変わらないだろう。
大きな政治的課題と言える。

 

おわりに)

対馬陸上自衛隊駐屯地の司令をはじめ、T三佐、広報、その他車の運転をしていた皆さんに感謝する。
「現地現物主義」と言う言葉があるが自分の目で見る、話しを聞く、触ることでさまざまな課題とその解決法が見えてくることがある。
(この項以上)