今回の私の実験は、アメリカ駐在の機会に、日本から本物の鎧を持って行き、アメリカで射撃可能な日本の火縄銃を調達して、これらを使用し たものであった。 私自身、過去15年間にわたり、火縄銃は七千発ちかくは射撃しているので、火縄式とはいえ銃の能力にはたいした違い無いので、50ー10 0メーター位の距離であればそれ相当の威力があり、その貫通力は鉄板3ー4ミリはある、とみていた。従って私にはこの結果は実験前より予測ができていた。 鎧は鉄砲に対して有効であるという意見の方の根拠の多くは、各地に残る「試し胴」と言われるものの存在があったことは否めない。「試し胴」 は鎧の胴を実際に鉄砲で撃ってみたその痕が残っている胴のことで、玉の痕が少し凹んでいる位のものがほとんどである。この「試し胴」の背景は江戸の平和な時代に、甲冑師が鎧の品質を証明するために行ったものと言われているが、玉が貫通してしまっては意 味が無いので、貫通しないように撃ってもらったのである。前装銃は完成された実包を使用しないので、火薬の量を加減することで、威力を調 整できる。理論的には火薬の量を半分にすれば貫通力は半分になり、倍にすれば倍になる。 火縄銃の銃身強度は大体、普通に撃つ場合の3ー4倍はあるようだ。 と言うことは、戦場では距離や目標にあわせていろんな使いかたをしたのであろう。 普通に撃つ場合というのは、50ー100メーターの距離で、安定した命中率を示す火薬の量で、玉の径が約10ミリのもので約2.5グラム位で あろう。玉径が10ミリの銃は一匁五分玉と言い実際戦場で使用された口径よりは小さい。戦場で多く使われた口径は 11ミリから18ミリ位である。これは火縄銃の言葉では弐匁から十匁位である。
スミス氏が一発ごとの初速を測定してくれた。1550フィート秒から1590フィート秒で安定しているのと、意外に早い。これは約480メーター秒 になり、現代の拳銃のそれよりも早い。 使用した火縄銃は19世紀初頭の国友筒で、二重ゼンマイからくりという上等な機関部を備えたもので、全長130センチ、銃身長100センチ の日本の火縄銃としては一番一般的な大きさのもので、銃腔内の状態も最高のものであったことは言うまでもない。 この実験の結果、50メーターで二枚の鉄板をかるく打ち抜いているので、貫通力は約3ミリ以上であろう。しかし火薬の量を増やせばもっと威 力は増大するので、あなどれぬ武器である。 この50メーターというのは微妙な距離で、もしこの一発を外すと、次を装槙するまでの間に、鎧を着用し刀槍を持った武者が、鉄砲の位置まで駆け寄って来れる計算になる。 日本の火縄銃の有効射程距離はどの位であろうか。約100メーターと推察する。100メーターの距離なら、かなりの確率で人間の大きさに命中させられる。またその威力もある。前にも書いたが、火縄銃は火薬の量を増量できた。従って遠いところを撃つ際は火薬を倍位入れるという使いかたもできる。100メーターの距離なら鎧武者も確実に倒せた。城の堀の幅は大体この長さである。
戦場で具足、鎧兜が鉄砲の前に無力であることは分かっていたのに、なぜ江戸時代にも鎧兜を着用したか。幾つかの理由はあろうが、戦国 時代の大きな戦闘、文禄・慶長の役の影響は考えられないか。半島でのこれらの戦闘で相手先は鉄砲を多く使用しなかった。 当然ながら、刀槍・弓に対して具足・鎧兜は有効であった。江戸時代は戦いは無く、なんでも形骸化した、このためこれらが残ったのでは無い か。 もう一つの理由は鉄砲と刀槍は同時に使われていて、鉄砲がすべての要素でなかったかであろう。 いずれにせよ、当時の人々も具足・鎧兜が鉄砲の威力の前には無力であることはよく知っていた。 「雑兵物語」の中に「鉄砲は威力がある。鎧兜を付けていても、魚のふぐと同じで当たったら死ぬと思え」と言わせている。 最後にこの研究に的確なご指示をしていただいた日本ライフル射撃協会の安斎実会長、アメリカ前装銃射撃連盟のバッキー・マルソン会長、 サイロス・スミス氏の協力に感謝する。